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【意見対立の解消に役立つ】エドムント・フッサールと現象学①

内容が難しすぎて、本を読んでから書き始めるのに時間がかかりましたが、哲学の話のまとめをまたやってみようと思います。

 

かなり現代に近づきますが、今回は現象学についてです。

 

現象学ってなんやねん、とまず思ったのですが、これは一つの考え方のスタイルで、20世紀の哲学に多大な影響を与えた考えです。

 

20世紀は国際的な関係性も大きくなり、いろんな信念がぶつかり合った時代でした。「共産主義」vs「資本主義」、「キリスト教」vs「合理・科学主義」などなど。このように考え方がぶつかり合ったときに、「何が正しいのか」を建設的に考えられる方法のひとつがこの「現象学」です。

 

多様性を大事にしよう、みたいな考えが広がる現代こそ、信念がぶつかることは日常茶飯事なので、「現象学」は十分に役に立つと思います。

 

現象学は何の役に立つか?

現象学的還元とは何か?

③どんな哲学の流れでできてきたのか?

④具体的な応用の仕方

 

の順番で書いていく予定です。

 

目次:

 

現象学って何?なんか役に立つの?

現象学」については高校の倫理の授業では聞いたことありませんでしたが、もともとはエドムント・フッサール(1859-1938)というオーストリアの哲学者が提唱し始めた考えです。

 

客観的な視点を一旦考えないようにして、主観による純粋な意識体験を記述すること現象学と言います。何を言っているか分かりにくいと思うので、現象学的還元」を通じて後でもう一度説明します。

 

ハイデガーサルトルメルロ=ポンティなどの近代~現代の有名な哲学者は皆この「現象学」に影響を受けており、その意味合いも微妙に異なります。

 

これが何の役に立つかというと、いろいろな物の見方があるとき、物事の本質を見抜く方法論として役に立ちます。

 

例えば、「国がするべきコロナ対策」という視点で考えてみると、いろんな立場のひとから様々な批判が寄せられることがあります。

 

じゃあ正解は何なのか、と問われると、批判だけでは当然答えは生まれません。「科学・実証主義」的な「エビデンスが全てだぜ!」という答えも一つですが、実際データというのは得られるものが限られており、それだけをもとに判断することはできません。

 

こんなときにも建設的に考えられるのが「現象学的還元」です。

 

 

現象学的還元とは?

フッサールの代表的な著作『イデーン』では物を例にした現象学的還元の方法が紹介されています。それをちょっと説明してみます。

 

①エポケーする

ある部屋をのぞいてみたらこんな空間があったとします。

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この状況をどう説明するでしょうか。

 

普通な解答は「机の上に本がある」だと思います。

 

それで全く問題ないのですが、「現象学的還元」という方法ではまず第一に「客観的にモノが存在している」という考えをいったん停止させて、主観的な意識体験に注目します。つまり、「本がある」と言っちゃダメなのです。

 

これを現象学の用語では自然な世界の見方を”エポケー”すると言います。

 

「え、なんでそんなことするの?」と感じると思うのですが、とりあえず先に進みます。

 

②自分の体験に着目する

次にやることは自分がどう感じているか、あくまで主観に着目して「知覚体験」を言い表してみることです。

 

「机の上にあって、紺色のカバーがついた、白いページが重なっているようにみえるものがあるなあ。普通に考えたら本かなあ。」とか思っているわけです。

 

それをやるには、机の上のものに「注意」を向けており、机などの周りの「背景」も何となく意識をしていることが分かります。

 

 

ここで暗闇から少し明かりがもれていて、先ほどの部屋をのぞいた場合を考えてみましょう。

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端しか見えませんが、「本の全体」を何となく想像すると思います。

「背表紙も見えるし、これは本かな?」と想像します。

 

また別の側に明かりを当てて見てみましょう。

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「あー 、やっぱり本だなあ」

 

実は完全に全体は見えていないけれど(左上が見えてないです)、本全体が勝手に想像されると思います。

 

というわけでエポケーした上で、「物を見る」という体験をまとめてみると以下の3つの要素があることが分かります。『現象学は<思考の原理>である』という本が非常に分かりやすいので抜粋します。

 

(1)まず意識体験として見た知覚体験の第一の特質は、実際には(実的には)「私」はつねに対象の一部とか知覚していないが、それを「対象全体」として、あるいは対象全体の一部として知覚している、ということ…(中略)

(2)つぎに、「物」の知覚には、中心的対象の知覚とその周りの背景(=意識の庭)という構図がつねにある、ということも分かる。

(3)また、知覚体験には、ちょうど暗いところを懐中電灯で光をあてて、物を見るように、主体の側から「注意を向けること」(=配慮)という側面があること。

竹田青嗣著『現象学は<思考の原理>である』より引用)

つまり、客観的な視点を一旦保留にして、主観に戻って、起きた純粋な意識体験を省みてみる。これが現象学的還元です。

 

なぜ現象学的還元が重要か

で、何でこんな方法が重要か、という話ですが、先ほど見た「本」を物事の本質と置き換えて考えてみましょう。

 

たいていの物事は一部しか見えません。何が正しいかという議論も一緒で、一部が正しいように見えても全てではありません。

 

例えば、Aという意見が「客観的に」正しいと考えている人がいたとします。まずその考えをエポケーして、主観的な意識に立ち戻ってなぜそう思うのか、意識体験を分析します(これが現象学的還元)。すると、正しいと思っていた部分も、先ほどの本の一部が見えていたように、あくまで全体像の一部であることを意識しますし、何をもとにAを正しいと思っていたのかが分析されます。

 

Aを正しいとする人の中でも意識体験はそれぞれ異なります(暗闇の中で本の見え方が違ったように)。そこで、意識体験から共通する要素がないか見出していきます。そこから分かる範囲での共通要素をまとめ、全体像を掴む。これが現象学的還元を使った、できる限り本質に近づく方法です。

 

次回の記事でなぜこのような流れができたか、を説明していきます。

 

参考文献:

現象学は思考の原理である (ちくま新書)

現象学 (岩波新書)

医療ケアを問いなおす ──患者をトータルにみることの現象学【シリーズ】ケアを考える (ちくま新書)

 

参考文献の紹介記事はこちら

 

medibook.hatenablog.com