脳内ライブラリアン

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医療、健康、統計、哲学、育児・教育、音楽など、学んだことを深めて還元するために。

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J.S.ミルと自由について⑤

 J.S.ミルが「自由」を重視し続けた理由の続きと他者危害原則とはどこまでを危害と捉えるべきなのかについて書きます。

 

前回記事はこちら

J.S.ミルと自由について① - 脳内ライブラリアン

J.S.ミルと自由について② - 脳内ライブラリアン

J.S.ミルと自由について③ - 脳内ライブラリアン

J.S.ミルと自由について④ - 脳内ライブラリアン

 

目次:

 

 

明らかに意見が正しくみえるときも反対論を聞く意味があるのか

前回の続きになりますが、世間一般の意見が間違っていた場合は、少数派だとしても反対意見を自由に言えることに利益がある、というのは分かりますが、逆に世間一般の意見があっている場合はどうなのか。つまり、明らかに真理にみえることに、議論を尽くす意味がどこまであるのか。

 

これについては、正しいと思われることでも議論を尽くさないと真理がみえてこないことがある、と述べています。ギリシャの雄弁家キケロは論敵の意見を自分の主張と同じくらい熱心に分析した、として、反対論を深く吟味することで自分の意見の真理がよりはっきりしてくることを主張します。

 

加えて、真理にみえることも、実際には半真理(正しい部分もあれば、そうでない部分も含んでいる)ことが多いです。逆に、反対論がいくら間違ったもののようにみえても、その中には一部心理が含まれていることもあり、貴重なものと考えるべきであると述べています。

 

真理を探究するために自分の意見と同様、反対意見も熟慮せよ、ということですね。

 

個人における自由を重視することの意味

ここまでは人類全体の恒久の利益を求めるため、議論を行い発展させる過程には、思想や言論の自由が必要だ、という話でした。社会全体のことを考えた意見です。

 

さらに『自由論』では、思想・言論の自由において述べた次の章で、個人にとっての自由の重要性を説明しています。

 

要するに、他人に直接関係しないことがらにおいては、個性が前面に出ることが望ましい。その人自身の性格でなく、世間の伝統や慣習を行為のルールにしていると、人間を幸せにする主要な要素が失われる。個人と社会の進歩にとっての重要な要素も失われる。(J.S.ミル著、斎藤悦則訳『自由論』)

 

世間一般において、「個性の自由な発展や自発性に価値がある」という発想が足りていないことを訴えます。さらに読者へ具体的にその主張を訴えていきます

 

現代人は、世間の慣習になっているもの以外には、好みの対象が思い浮かばなくなっているのである。現代人は、このように、精神が束縛されている。娯楽でさえ、みんなに合わせることを第一に考える。…(中略)…強い願望も素朴な喜びももてなくなり、自分で育み自分自身のものだといえるような意見も感情ももたない人間となる。はたして、これが人間性の望ましいあり方なのだろうか。(『自由論』)

 

これはなかなか厳しい文章です。まるで今の時代にも通じそうな言葉です。慣習にとらわれ過ぎず、自分の好みをもち、自分で選択をしていくことで、判断力・洞察力・学習力といった能力を鍛えることが自身の幸せとともに人類全体の発展を促す、と考えていたようです。

 

章の後半ではアジアとヨーロッパを比較し、当時産業革命後、発展を続けるヨーロッパの特別性を自由による個性の発展と活発な議論による社会の発展の中に見出しています。

 

以上のように、ミルは、社会の発展+個人の発展がいずれも(他者危害の原則に沿った)自由によって達成することができることを説明しました。

 

どこまでを他者危害とするのか

SNSによる人格攻撃

自由がどこまで許されて、どこまでが他者の危害と言えるのか。これは現代でも議論の分かれるところだと思います。

 

例えば、現代におけるネットでの炎上とそれによって自殺に追い込まれるような罵倒のコメントと言論の自由をどう考えるか。

www.itmedia.co.jp

『自由論』でも触れられているのは、口汚い非難・嘲笑・人身攻撃といったものです。言葉が巧みであればあるほど、相手側は不快に感じるとは言いますが、そこまではいいものの、こういった人格非難はするべきではないし、特に少数意見に対して行うことは避けるべきだとしています。なぜなら少数意見がそれによって抑え込まれると反対する気もなくしてしまうから、だと。しかしそうだとしても法律は関与すべきではなく、世論によって判断を下すべき、と考えていたようです。

 

ところが現代の問題が、ミルの時代における”意見”と異なるのはこれらの意見が匿名性であり(世論によって裁くこともできない)、一方通行である(数が多いと反対意見も伝わらない)点です。また、「炎上」したときには、批判的な意見がまるで多数派かのようにみえることがあり(世間全体でどうかは実際分からない)余計に支配的となって、反対意見を聞かなくなることも往々にして認められます。そうなると何とか出来るのは法律や政府しかありません。

 

またここで、ミルが主張していた自由に意見をすることのメリットを考えてみると、ここまでに述べた通り意見と議論による人類恒久の利益の発展でした。果たしてネットに寄せられるただの人格攻撃に過ぎない短文が発展を促すのか。そこには疑問符がつきます。

 

そうなると、SNSの運営会社に対しての多少のルール作りは必要になるのかもしれません。自分たちに必要なのはそのルールが自由に対して干渉しすぎないか注意を払うことになるでしょう。

 

喫煙と健康被害

医療従事者にとって喫煙は悩みのタネです(といっても医療従事者の中にも喫煙者はそれなりにいますが)。血管障害という点では仕事を増やす原因になりますし、医療費高騰の一端にもなるのでないかと感じられます。「タバコなんて消えてなくなればいい」というぐらいの気持ちになることも多々あります。

 

実際これはタバコに限ったものではなく、脂質異常症・糖尿病・高血圧といった生活習慣病についても話が拡大されうるものです。これらは個人の健康に影響を与える要因でありながら、社会全体に与える不利益も大きいことが徐々に明らかになっています。これも規制するべきなのでしょうか。

 

ミルの思想に沿って考えれば、タバコも生活習慣病も本人が健康被害を負うという範囲でいえば基本的には規制をすべきではない、と言えるでしょう。あくまで個人の嗜好だからです。

 

ただし、タバコや悪い生活習慣が、それを推奨することで利益が得られる集団(つまりはタバコの会社とか)がある場合に、事態は複雑になります。つまりその集団は公共の福祉を害する行動を推奨することで利益を得ているからです。

 

『自由論』においてミルはそういった点についても触れています。「人々がそういった集団に好みを刺激されて操られないようにする」ことは説得力があると述べています(ただ、正しいとまでは言わない)。酒を例に挙げて、例えば品行方正な人のみに売るようにする、問題が起こった時用に警察が取り締まりのしやすい場所で飲む、お店の開店時間を制限する、などの措置を考案しています。

 

要するに有害なものであっても完全な規制はすべきでなく、あくまで有害なことが起きないようにする制限に留めよ、ということですね。これは現代でいう「ナッジ」の考え方に近いと思われます。「ナッジ」とは「肘でつつく」という意味で、強制はしないまでも好ましい行動をとるように、少し誘導するということです。例えばレジの近くのような買いものをしやすい場所に、不健康な食品を置かないようにする、とかですね。

 

まとめ

だらだらと長くなってしまいましたが、とりあえずミルについてはこれでおしまいです。

 

「自由」を”自然な権利”という漠然としたものでなく、なぜ「自由」であることに利益があるのか、功利主義的な視点で述べたのがミルの特徴です。自由のもつ発展性と個性の尊重は今も十分に伝えられている理念だと思いますが、その原点とも言えます。改めて「自由」であることの意義を捉えなおすには良い思想の一つになると思われます。

 

参考文献(最初の記事で内容は紹介しています):

自由論 (光文社古典新訳文庫)

自由論 (光文社古典新訳文庫)

  • 作者:ミル
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: Kindle
 

J.S.ミル著『自由論』

J.S.ミルと現代 (1980年) (岩波新書)

J.S.ミルと現代 (1980年) (岩波新書)

  • 作者:杉原 四郎
  • 発売日: 1980/04/21
  • メディア: 新書
 

杉原四郎著『J.S.ミルと現代』

功利主義とは何か

功利主義とは何か

 

 ピーター・シンガー、カタジナ・デ・ラザリ=ラデク著『功利主義とは何か』

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)

  • 作者:児玉 聡
  • 発売日: 2012/07/01
  • メディア: 新書
 

児玉聡著『功利主義入門』 

中村隆之著『はじめての経済思想史

単純仮説/複合仮説の場合における有意水準αの仮説検定(例題付き)【統計検定1級対策】

仮説検定において「有意水準αの検定を求めよ」みたいな問題を最近よく解いておりますが、単純仮説の場合はいいんですけれども、複合仮説の場合がどうも理解できなかったので、まとめ直してみました。

 

まず、単純仮説・複合仮説の定義から順番に考えて、例題を解いてみます。

 

目次:

 

単純仮説と複合仮説とは

単純仮説はその仮説下でパラメータの値が一つに決まるもの複合仮説は一つに決まらないものを指します。

 

具体的に示しますと、帰無仮説H_0においてH_0:\theta=0とかH_0:\theta=\theta_0(定数)みたいなのは単純仮説です。

 

逆にH_0:\theta\lt0H_0:\theta\lt\theta_0みたいなのは複合仮説と言われます。値が一つに決まってないからですね。

 

表現の仕方の違いですが、単純仮説では確率分布が一つに決まる、複合仮説では複数になる、と言われたりもします。パラメータによって確率分布は変わるのでこれはただ言い方が違うというだけです。

 

有意水準αの検定とは

サイズαの検定と呼ばれることもあります。

 

定義としては

P(検定の棄却域)=α

となるような検定です。

 

実は正確な定義として、帰無仮説\theta\in\Theta_0を満たすとすると(\Theta_0は満たすパラメータの集合)

\sup_{\theta\in\Theta_0}P(検定の棄却域)=α

となるのですが。自分の場合、ここでなぜ確率上界を示すsupが出てくるのか分からなくなりました。同じような人はぜひ記事を読み進めてください。

 

単純仮説の例

まずは単純仮説の場合を考えてみます。例題として次を考えます。

 

 

例題:サンプルX_1, X_2, ..., X_n\sim N(\mu,1)があるとする。ここで\muは未知のパラメータである。帰無仮説H_0:\mu=0、対立仮説H_1:\mu\gt0とするとき、有意水準αの尤度比検定を求めよ。

 

 

帰無仮説が単純仮説の場合は簡単で、過去の記事で一度やっています。

medibook.hatenablog.com

 

ここに\sigma=1, \mu_0=0を代入すればいいので

\sqrt n\bar X\sim N(0,1)となります。(対立仮説から、片側検定であるためχ二乗分布ではなく正規分布に従うことを用いています)

 

よって棄却域は正規分布のα%分位点をz_\alphaとして

\sqrt n\bar X\gt z_\alphaとなります。

 

これは当然のことながら

P(\sqrt n\bar X\gt z_\alpha)=\alpha

となるので、解答となります。

 

単純仮説の場合は比較的迷うことなく分かります。

 

複合仮説の例

例題の条件を少し変えて考えてみます。

 

 

例題2:サンプルX_1, X_2, ..., X_n\sim N(\mu,1)があるとする。ここで\muは未知のパラメータである。帰無仮説H_0:\mu\leq0、対立仮説H_1:\mu\gt0とするとき、有意水準αの尤度比検定を求めよ。

 

 

複合仮説の場合は前述のように、有意水準αの検定というのは以下の条件になります。

\sup_{\mu\leq0}P(検定の棄却域)=α

 

なんでこうなるのか、多分分かる人には至極当然なんでしょうけれども、数学的センスのなさ故にさっぱりだったので、図をみて考えてみます。

f:id:medibook:20200711051832j:plain

先ほどの記事で使った図ですが尤度比検定はこの二つの差をみています。単純仮説の場合はμ=0でしたので単純にそれを計算すればOKです。

 

複合仮説の場合はどうなるかというと

f:id:medibook:20200711051817j:plain

μは上図の範囲のどこかの値ということになります。

当然そうするとP(検定の棄却域)の値も変わってくるわけですが、大事なのはどこの時の値か、ということ。

 

定義式が示す通り、もっとも大事なのは一番大きい値です。棄却域に入る確率がせいぜい高くてもここまでと決まっていることが重要なんです。

 

例えば、有意水準をp=0.05としたとき、データを出してp=0.03で棄却することやp=0.04で棄却することは構いませんが、p=0.08を棄却されたら困るでしょう。一番大きい値を保証することが必要なので、定義としてその複合仮説で最も大きい値である上界を用いて\sup_{\mu\leq\0}P(検定の棄却域)=αとするわけです。

 

この前提に立って、さきほどの問題をみてみます。

単純仮説の場合に求めた棄却域を使って考えてみるとμ=0のとき

P(\sqrt n\bar X\gt z_\alpha)=\alphaとなります。

 

この検定の棄却域を用いて、μの範囲が拡大した場合を考えます。\mu\leq0を条件としてμを定数としてとらえると

\sqrt n(\bar X-\mu)\sim N(0,1)

となります。これを利用しつつ、先ほどの検定の棄却域を保ったまま変形すると

 

P(\sqrt n(\bar X-\mu)\gt z_\alpha-\sqrt  n\mu)\\=P(Z\gt z_\alpha-\sqrt  n\mu)

 

ここでZは標準正規分布に従う確率変数とします。

するとμは負であることから

P(Z\gt z_\alpha-\sqrt  n\mu)\leq P(Z\gt z_\alpha)

となります。ここが分からない人は以下の記事を参照ください。汚い図で説明してます。

medibook.hatenablog.com

 

よって、確率上界がαであることが確認できたので、有意水準αの検定は

\sqrt n\bar X\gt z_\alpha

となります。単純仮説で示した値がちょうど確率上界であったので、同じになるのです。もちろんそうならない場合もありますし、どこが上界になるのかは注意が必要です。

 

 

ちなみに上記のp値の記事に若干嘘がありまして、p値の定義式も複合仮説の場合を含めて正確にいえば

\sup P(ある検定統計量\gt実際の検定統計量の観測値|帰無仮説の条件)

なのです。これも結局一番大きい値が大切なので、確率上界が用いられています。

 

参考文献:

現代数理統計学の基礎 (共立講座 数学の魅力)

現代数理統計学の基礎 (共立講座 数学の魅力)

 

 

難しい本に出会ったときのRPG的な解決策

RPGをやったことはあるでしょうか。ドラクエとかそういうやつです。

 

僕も子どもができるまではゲームが好きで結構色々やってました。典型的なものでいえばドラゴンクエストなんかはⅠ~Ⅵまでやりました。Ⅵが一番好きで、データがよく消えましたが(デスタムーアまで倒したのに)、もう一度クリアするくらいはやってました。

 

よくあるRPGゲームの流れは

雑魚敵を倒して経験値集め・お金稼ぎ→経験値を集めてレベルアップ・集めたお金で新しい装備を買う→より強い敵と戦って倒す→新しいステージへ進む

というものかと思います。

 

本を読んでいて、「意味がよくわからん」ということは、高度な本になればなるほど出てくるのですが、こうした自分にとって難しい本と出会ったときに、「あーこれはRPG的な思考だなー」と思いました。

 

ちょっと例を挙げて考えてみます。

 

目次:

 

 

例、難しい本に出会ったとき

 最近、『欲望の資本主義3』という本を読みました。

NHKのドキュメント番組『欲望の資本主義』を書籍化したものです。 欲の限りに拡大する資本主義の限界や批判を鋭く捉えた番組ですが、この中でドイツのボン大学教授で新進気鋭の哲学者、マルクス・ガブリエルという人の話が目に留まりました。

 

デジタル社会を批判的にみており、人間を超えるような「真のAIは存在しない」と主張しています。さらに現代のGAFA(Google, Amazon, facebook, Apple)といった企業の興隆を、人々が知らぬ間に精神的な労働を搾取されているものと批判しています。

 

この意味を理解するために必要なのが、ガブリエルの主張する新実存主義とした思想なのですが、そもそも実存主義って何?となりました。

 

そこで実存主義の中で有名かつマルクス・ガブリエルにも取り上げられているハイデガーについてまずは知ってみようと思い、『ハイデガー入門』を買ってみました。

 

ハイデガー入門 (ちくま新書)

ハイデガー入門 (ちくま新書)

 

ところが、冒頭からさっぱりと意味が分かりません。著者は意味が分からない人に向けてこう書いています。

 確かにハイデガーが格闘している問いの地平を知らなくても、『存在と時間』について語ることはできる。…(中略)…しかしこうした読み方は感じを知らない子供の読み方である。子供は知らない漢字を読み飛ばし、平仮名だけを読む。(細川亮一著『ハイデガー入門』)

 

それはその通りと思ったので、無理して読むことなく一旦諦めます(笑)。

 

そもそも「実存主義」やハイデガーの思想に関係するフッサールの「現象学」などのキーワードについて分からなかったのです。

 

ここで、突然ですがRPGゲームだったらどうするかを考えてみます。

 

RPGゲームでボスと戦うとき

RPGゲームではある程度ゲームを進めると強力な敵が出てくるようになり、さらにはボスと戦うことになります。

 

ボスは強力なため、倒せず負けてしまう事が起こり得ます。さて、ここで倒せなかったらどうするでしょうか。

 

もっと弱い雑魚敵、なかでも自分に丁度いい経験値の入るほど良い雑魚敵を倒してレベルアップや装備を充実させます。また、場合によっては特殊なアイテムがないと倒せないボス敵もいます。情報を集めてアイテムを探し、入手します。

 

難しい本=ボス、と出会ったときにはこれと同じことをやればよいのではないでしょうか。

 

例に当てはめてみる

 

ハイデガー入門』(=ボス)に勝てなかったので、まずレベル上げを始めます。「実存主義」を含んだ横断的な優しい入門書を読み、ネットの記事も少し目を通します。「現象学」についても同様に入門書を探します。(=アイテム集め)そうしてレベルが上がって、アイテムを集めたら再度ボスに挑みます。そして倒せなかったらまたレベル上げに戻ります。

 

ちなみに実はこの『ハイデガー入門』は前書きが難しいものの第1章からは比較的平易な表現になっており、ただ倒すボスが間違っていて別のエリアに行けばよいだけでした(汗。

 

果たしてボスを倒さなかったらどうなるか

 RPGゲームでボスを倒さずに雑魚敵ばかりと戦っていたらどうなるでしょうか。レベルも上がりにくいですし、新しいアイテムも手に入らない、話も進みません。

 

これを読書で考えてみると「自分にわかる簡単な本ばかり読んでいる状態」でしょうか。ビジネス書や新書は読みやすいものが多いのですが、そればかり読んでいてもどうも新しい刺激になりません。「目的」に向けて本を読んでいくには自分の理解をやや超えたものまで進めていく必要があります。

 

ただ、あまりにも大きく超えてしまうと進めない事態に陥るので(ボスが強すぎる)一旦戻ってレベル上げが必要になります。必要なアイテム(多くの場合は専門用語かと思いますが)を集めることも有用です。

 

注意点

ここで必要な注意点として、1つには、そもそも論理が破綻している本(=ボスが倒せないクソゲー)があります。以前紹介した佐藤優著『読書の技法』にも書いてありましたが、そういった本は早々に読むのをやめるべきです。

読書の技法

読書の技法

 

 もう一つ注意が必要なのは、自分のレベルを把握することが難しいこと。簡単な本を読み続けて、知識を増やしたつもりになるのと同じくらいに、難しい本を読んで理解したつもりになることは危険です。RPGはボスを倒したかどうか、自分のレベルが上がったかどうか、が客観的に分かりますが、現実にはそれが分かりません。よくある読書法で紹介されている「アウトプットをする」というのが一つの解決策です。

 

昔読んだ本で『人生で大切なことはみんなRPGから教わった』(市村よしなり著)というものがありましたが、ロールプレイングゲームの名の通り、ある種の人間の役割をゲーム化したものなので、類似点はあってしかるべきなのだろうと思います。

人生で大切なことはみんなRPGから教わった

人生で大切なことはみんなRPGから教わった

  • 作者:市村 よしなり
  • 発売日: 2010/02/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

J.S.ミルと自由について④

 J.S.ミルが『自由論』で最も主張したかった他者危害原則について、まず簡単に触れて書いていきます。功利主義と自由の重要性の関連について少し書きます。

 

前回記事はこちら

J.S.ミルと自由について① - 脳内ライブラリアン

J.S.ミルと自由について② - 脳内ライブラリアン

J.S.ミルと自由について③ - 脳内ライブラリアン

 

 

目次:

 

 

他者危害原則

J.S.ミルが著作『自由論』で主張したかったことは本の中に明示されています。

本書の目的はきわめてシンプルな原理を明示することにある。…(中略)…その原理とは、人間が個人としてであれ集団としてであれ、ほかの人間の行動の自由に干渉するのが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られるということである。(J.S.ミル、斉藤悦則訳『自由論』より引用)

 

これは他者危害原則または他者危害原理と呼ばれる、ミルが提示した有名な原則です。その根拠と適応について主に語ったのが『自由論』です。

 

『自由論』は1859年に書かれた本でありながら、現代の普通の人(自分)が読んでも非常に明快に分かるという点には驚きます。大した事前知識がなくとも意味は分かりますし、当時の個人への制約に対してどう思っていたか、その状況も感じ取ることができます。

 

この他者危害原則において

 

①自由とは何か 

②自由は原則に沿う限りなぜ限界まで重視されるのか(ここが功利主義と関連)

③特殊なケースはどうか

 

をミルがどう論じているか、見ていきます。

 

自由とは何か

まず自分しか影響を与えない(=他者に影響しない)守られるべき自由の固有領域については『自由論』の冒頭で述べられています。

第一にそれは意識という内面の領域を含む。そこでは、もっとも広い意味での良心の自由が要求される。ものを考える自由、感じる自由。…(中略)…第二に、この原理は好き嫌いの自由、目的追及の自由を要求する。…(中略)…第三に、各個人の自由から、同じ制限の下でではあるが、個人どうしの団結の自由が出てくる。(J.S.ミル、斉藤悦則訳『自由論』より引用)

 

一つ目は言論、思想の自由を含みます。二つ目はどんな結果でも引き受ける覚悟があれば、自分の性格にあった行動をとる自由です。ミル自身もやっていた人妻との不倫はここに入るんじゃないでしょうか。三つめが団結の自由。ただし、これは人にだまされたり、強制されてはいるものではない場合に限ります。

 

ミルは自由についてまずこう語り、その次の章で思想・言論・出版の自由が必要とされる根拠を、さらに次の章で「自分の性格にあった行動をとる自由」=「個性を重視すること」が人にとって幸福である根拠を述べていきます。

 

自由は原則に沿う限りなぜ限界まで重視されるのか

まず『自由論』でミルは他者危害原則において自由が制限される場合を以下の理由で述べています。

私の見るところ、効用こそがあらゆる倫理的な問題の最終的な基準なのである。ただし、それは成長し続ける存在である人間の恒久の利益にもとづいた、もっとも広い意味での効用でなければならない。こうした恒久の利益という視点に立てば、個人の自発性を外部から統制することも正当とされると言いたい。(『自由論』)

 

つまり、未来も含めた人類全体のことを考えたときに、不利益である場合にのみ、自由が制限される、と言いたいようです。

 

これと全く同様に、思想・言論・出版の自由も未来も含めた人類全体の利益を考えて、完全に自由が守られるべきである、としています。

 

しかし、意見の発表を封ずるのは特別に有害なのだ。すなわち、それは人類全体を被害者にする。その時代のひとびとだけでなく、のちの時代のひとびとにも害を及ぼす。(『自由論』)

 

理由として、たとえ意見をしているのが、たった一人だとしても、その意見が正しい場合、人々が間違いを直すチャンスを失ってしまうこと。そしてその意見が間違っていた場合でも、批判により正しい意見が研ぎ澄まされて、より鮮明になることを挙げています。

 

これは確かに納得できる話ですね。

 

ただ、例えばその意見というのが人格攻撃になってしまう場合や(最近はSNSを引き金とした自殺も問題になってます)、多数派の意見が明らかに正しいときにいちいち他の意見を聞く必要があるのか、など気になる点は出てきます。そういった点にも詳しく論じているので、そこはまた次回に書きます。

 

 

参考文献(最初の記事で内容は紹介しています):

自由論 (光文社古典新訳文庫)

自由論 (光文社古典新訳文庫)

  • 作者:ミル
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: Kindle
 

ミルの主要な著作でありながら、大変分かりやすく読める本です。興味が出てきた方は直接これを読むことをお勧めします。 

J.S.ミルと現代 (1980年) (岩波新書)

J.S.ミルと現代 (1980年) (岩波新書)

  • 作者:杉原 四郎
  • 発売日: 1980/04/21
  • メディア: 新書
 

杉原四郎著『J.S.ミルと現代』

功利主義とは何か

功利主義とは何か

 

 ピーター・シンガー、カタジナ・デ・ラザリ=ラデク著『功利主義とは何か』

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)

  • 作者:児玉 聡
  • 発売日: 2012/07/01
  • メディア: 新書
 

児玉聡著『功利主義入門』 

中村隆之著『はじめての経済思想史

ブログで図を使って説明するときにgoogle drawingsが便利すぎる話

 ブログで図や表を描くときに皆さん何を使ってますでしょうか。かなり以前はパワーポイントを使ってスクリーンショットしてましたが、面倒くさくて他の方法を探していました。

 

最初の頃”ブログ 図表 無料”で検索をかけて調べたときは、無料の作図ソフトウェアであるdraw.ioというのが最初に紹介されていたので、パワポの次はこちらを使っていました。

app.diagrams.net

draw.ioはネットブラウザ上でも使えるのが利点で、動きも悪くないですし、パワーポイントに近いイメージで使えるので、これも重宝していましたが、画像の保存などをしたときにgoogle driveに入れて、またgoogle driveを開いて、貼って、、、とやや面倒くさかったです。

 

そこで最近使っているのがgoogle drawing (google 図解描画)です。

docs.google.com

かなりさくさくと軽快に動きますし、簡単な内容しか基本的に出さないので(複雑なフローチャートとかは使っていない)これが便利です。保存もgoogle driveに自動でされるので、いちいち出力を選ぶ必要もありません。さらに、あとからの編集もgoogle driveからかなり簡単にできます。

 

何故かキーワード検索して上位に来る記事にはこのgoogle drawingが載っていないのですが、①操作性②軽快さ③保存の利便性、の点において明らかに良いので、ブログで図表を作成しようという方でgoogle accountがある人はぜひ使ってみてください。

J.S.ミルと自由について③

J.S.ミルが自由をなぜ重視したのか、その根底にある「功利主義」について書きます。

 

前回記事はこちら

J.S.ミルと自由について① - 脳内ライブラリアン

J.S.ミルと自由について② - 脳内ライブラリアン

 

目次:

 

 

 

功利主義とは

ミルを教えていたジェレミーベンサム(またはベンタム)に代表される考え方で、「最大多数の最大幸福」という定式が有名です。もっとも多くの人が幸福を享受できることを善とする考え方といえます。

 

昔、高校生の時に倫理の授業で聞いたとき、感じたのですが、「一部の人に大きい幸福があれば残りの人は不幸になってもいい=少数派を犠牲にする思想」と誤解されがちです。実際のところ具体的に功利主義者の行動をみていくとそういった思想ではないことがわかります。

 

事実として、ベンサムは18世紀ごろにも関わらず同性愛について認めていたり、動物のもつ権利を主張していたりと現代になっても論争となることを、相当先だって主張していました。このような考えは当時明らかに少数意見ではありますが、功利主義が慣習に囚われず、「一人ひとりの平等性」のもとに「最大多数の最大幸福」を考えることにつながっていると思われます。

 

ミルも同様に平等への運動として、①で述べた女性や労働者の選挙権拡大を求めています。1867年の選挙法改正案の審議において、法案の文章を男性のみに選挙権を与える"man"から女性も含めた"person"に変更すべきだという修正案を出しています。残念ながらこの時は反対票が多く、否決されましたが、決して「功利主義」が少数派や社会的な弱者の利益を軽視する考え方ではないことが分かります。

 

では、同じ功利主義に基づく中でベンサムとミルの違いは何なのでしょうか。

 

質的功利主義ベンサムとミルの違い>

ベンサム功利主義の原則として快楽と苦痛を考えました。彼は著作である『序説』の冒頭で以下のように述べています。

自然は人間を二つの絶対的主人、すなわち苦痛と快の下に置いた。ひとえにこの両者が、われわれが何をすべきかを指摘し、われわれが何をするであろうかを決定する(ジェレミーベンサム『序説』より引用)

 

快楽主義といわれることもありますが、これは快楽と苦痛に内在的価値(=それ自体が価値のあるもの)を置いています。内在的価値はある種それ以上に何かを求めるものではないので、究極的な目標といえます。

 

快楽といってもいろんな種類があると思いますが、ベンサムはその総量に焦点をあてており、低俗だろうが良しとしました(量をどう推定するかは議論の余地がありますが)。例えば低俗とされるセックスの快楽は誰しも平等にあるもので、他者に危害が及ぶものでなければ、当時は批判されていた同性愛でもなんでも性的嗜好は許容されるべき、と主張しています。

 

ですが、快楽の総量を良しとする考えにはひとつ問題があります。快楽の総量さえあれば、食っちゃ寝を繰り返す動物のような生き方が良いのかどうか

 

これに対してミルはどうかというと、冒頭に述べた有名な文が違いを表しています。

満足した豚であるより不満足な人間である方がよい。満足した愚者であるより不満足なソクラテスである方がよい。そして愚者や豚の意見がこれと違っていても、それは彼らがこの問題を自分の立場からしか見ていないからである」(ミル『功利主義』より)

 

「満足した豚」とは食事を十分にとり、よく眠り、快楽を十分に得ている状態ですが、「不満足な人間」は快楽の量としてそこに満たないまでも、より質の高い快楽(文学や演劇、音楽などなど)を得ることができている状態を指しています。両方の立場を経験して、これらを比べたときに、ほぼ全ての人間が「豚になりたい」と思うかどうか、を問うています。

 

こうした快楽における質も考慮する考え方は「質的功利主義」と言われることがあります。

 

この点がミルとベンサムの違いですが、質的功利主義には疑問が付きまといます。それはどうやって質を決めるのか。

 

功利主義は多くの場合、快楽や幸福を内在的価値としています。これはパッと聞いた感じ多くの人に納得しやすい答えです。幸福になりたいかと言われたらそりゃなりたいです。

 

ですが、質的功利主義となると、その質が快楽以外に何なのか、考える必要が出てきます。例えば高尚な快楽としてオペラや文学、高尚なクラシックを考えたときに、何をもって「質が高い」というのでしょうか。

 

仮にこれを「人間らしさ」としてみると、快楽以外に「人間らしさ」を内在的価値として認めなければならなくなります。そうすると果たしてそれは功利主義といえるのか。この矛盾は現代の功利主義者である、ピーター・シンガーの『功利主義とは何か』で指摘されています。

 

こうなると、ミルの功利主義というのは土台を失いかけるわけですが、あくまで功利主義の原則に沿っていない、ということであって、主張したいこと(純粋な快楽の量だけが人において重要ではない)は理解できます。

 

続いて次回で功利主義→自由の重要性にどうつながっていくのかを書いていきます。

 

参考文献(前々回記事で内容は紹介しています):

J.S.ミルと現代 (1980年) (岩波新書)

J.S.ミルと現代 (1980年) (岩波新書)

  • 作者:杉原 四郎
  • 発売日: 1980/04/21
  • メディア: 新書
 

杉原四郎著『J.S.ミルと現代』

功利主義とは何か

功利主義とは何か

 

 ピーター・シンガー、カタジナ・デ・ラザリ=ラデク著『功利主義とは何か』

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)

  • 作者:児玉 聡
  • 発売日: 2012/07/01
  • メディア: 新書
 

児玉聡著『功利主義入門』 

中村隆之著『はじめての経済思想史

尤度比検定、ワルド検定、スコア検定をできるだけ分かりやすくまとめる【統計検定1級対策】

本日は仮説検定の中で、用いられる尤度比検定、wald検定、score検定についてまとめてみます。対数尤度関数、最尤推定量やスコア関数のそれぞれについては分かるけれど、この検定の意味がわかりづらい、、という人向けに書きます。

 

目次:

 

尤度比検定/ワルド検定/スコア検定の意味

以前の記事で仮説検定とp値について書きました。

medibook.hatenablog.com

 

このような問題だと、パラメータμを求めるために検定統計量\bar Xが使われることは非常に分かりやすいのですが、場合によっては検定統計量を何にすればいいのか(=あるパラメータθを検定する際にどの値を使えば知っている確率分布「正規分布」「カイ二乗分布」に落とし込めるか)が分からないときがあります。

 

そんなときに役立つのが尤度比/ワルド/スコア検定の方法です。

 

最大対数尤度と対数尤度関数

この概念をつかむためによく使われるのが対数尤度関数のグラフです。

 

あるパラメータθに対して対数尤度をとります。すると、θが最尤推定\hat\thetaをとるとき(logL'(θ)=0)に対数尤度は最大となるため下図のようなグラフが出来上がります。

f:id:medibook:20200705065258j:plain

横軸にパラメータθの値、縦軸は対数尤度ですね。これを用いて検定の意味を考えていきます。

 

 

尤度比検定

概念の説明

まず、尤度比検定では帰無仮説下での対数尤度と最大対数尤度の差を使っています。これは図で表すとここの部分になります。

f:id:medibook:20200705065328j:plain

つまり式としてはlogL(\hat\theta)-logL(\theta_0)になります。これを変形したものを検定統計量とするのが尤度比検定です。

 

差が0に近ければ近いほど\theta=\theta_0となる確率は高いわけで、帰無仮説が支持され、逆に0から離れるなら対立仮説が支持されます。

 

そこで大事なのはこの二つの差がどのような確率分布になるかということです。証明は結構大変なので省きますが(ここでもテーラー展開が出てくる)この二つの差は以下のような形でカイ二乗分布に従います。

 

2\{logL(\hat\theta)-logL(\theta_0)\}\sim\chi_1^2

 

そのため棄却域はαを有意水準とすると

2\{logL(\hat\theta)-logL(\theta_0)\}\gt\chi_{1,\alpha}^2

 となります。

例題

例題として下記を考えてみます。

 

X_1, X_2, ... , X_n\sim N(\mu,\sigma^2)とする。帰無仮説と対立仮説をそれぞれH_0:\mu=\mu_0, H_1:\mu\neq\mu_0とする。このときの尤度比検定の棄却域を求めよ。

 

これを解いてみましょう。

 

まず対数尤度関数を考えると

 

logL(\mu,x)=-\frac{n}{2}log2\pi\sigma^2-\sum_{i=1}^n\frac{(x_i-\mu)^2}{2\sigma^2}

 

となります。

 

次に尤度比検定の考え方に従って、logL(\hat\mu)-logL(\mu_0)を考えてみましょう。\hat\mu=\bar Xとなるので

 

logL(\hat\mu)-logL(\mu_0)\\=-\sum_{i=1}^n\frac{(x_i-\hat\mu)^2}{2\sigma^2}+\sum_{i=1}^n\frac{(x_i-\mu_0)^2}{2\sigma^2}\\=-\frac{1}{2\sigma^2}\{\sum_{i=1}^n(x_i-\bar X)^2-\sum_{i=1}^n(x_i-\mu_0)^2\}\\=-\frac{1}{2\sigma^2}\{-2\bar X\sum_{i=1}^nx_i+n\bar X^2+2\mu_0\sum_{i=1}^nx_i-n\mu_0^2\}

 

ここで\sum_{i=1}^nx_i=n\bar Xなので

 

=-\frac{1}{2\sigma^2}\{-n\bar X^2+2n\mu_0\bar X-n\mu_0^2\}\\=-\frac{n}{2\sigma^2}(\bar X-\mu_0)^2

となります。

 

よって上述のようにこれを二倍するとχ二乗分布に従うので

-\frac{n}{\sigma^2}(\bar X-\mu_0)^2\gt\chi_{1,\alpha}^2

が棄却域となります。

 

ワルド検定

概念の説明

ワルド検定では帰無仮説下において、グラフの横軸であるパラメータ\hat\theta\theta_0の差をもとにして考えます。

f:id:medibook:20200705065418j:plain

この二つの差は\hat\theta-\theta_0という式で表されます。これを変形したものを検定統計量とするのがワルド検定です。

 

先ほどと同様に差が0に近ければ帰無仮説が支持されます。

 

ワルド検定で用いられるのは最尤推定量としての性質です。最尤推定量には漸近有効性という性質があり、フィッシャー情報量を用いると、n→∞のときパラメータθに対して以下の性質を持ちます。

 

\sqrt nI_1(\hat\theta)(\hat\theta-\theta)\sim N(0,1)

 

帰無仮説のもとでは

 

\sqrt nI_1(\hat\theta)(\hat\theta-\theta_0)\sim N(0,1)

 

となるためこれを利用して棄却域を求めます。

 

フィッシャー情報量については過去の記事でもまとめています。

medibook.hatenablog.com

 

例題

さきほどと同じ正規分布について考えてみます。最尤推定量は\bar Xなので、フィッシャー情報量を求めます。

 

対数をとった確率密度関数をパラメータで2回微分して負の期待値をとる方法が簡単なので行ってみます。まず1回微分すると

 

\frac{\mu}{d\mu}\{-\frac{1}{2}log2\pi\sigma-\frac{(x-\mu)^2}{2\sigma^2}\}\\=-\frac{\mu}{d\mu}\frac{(x^2-2\mu x+\mu^2)}{2\sigma^2}\\=-\frac{(-x+\mu)}{\sigma^2}

 

もう1回微分すると

 

-\frac{\mu}{d\mu}\frac{(-x+\mu)}{\sigma^2}=-\frac{1}{\sigma^2}

 

これの負の期待値をとるとデータ1個分のフィッシャー情報量となるので

 

I_1(\hat\mu)-E[-\frac{1}{\sigma^2}]=\frac{1}{\sigma^2}

 

よって先ほどのワルド検定の式で考えると

\sqrt\frac{n}{\sigma^2}(\bar X-\mu_0)\sim N(0,1)

となります。

 

これを二乗して棄却域を考えると、正規分布の二乗はχ二乗分布になることから

\frac{n}{\sigma^2}(\bar X-\mu_0)^2\gt\chi_1^2

となり、尤度比検定とも一致することが分かりました。

 

正規分布の二乗がχ二乗分布になることについてはこちらに一度まとめてます。

medibook.hatenablog.com

 

スコア検定

概念の説明 

スコア検定では対数尤度関数の曲線の傾きに着目しています。スコア関数は対数尤度関数を微分したものでした。なので数値は対数尤度関数の傾きを意味します。

f:id:medibook:20200705071506j:plain

最尤推定値でのスコア関数は0となります。よってこれも0に近い方が確率が高くなるわけです。検定統計量として帰無仮説下でのスコア関数S(\theta_0)を考えるのがスコア検定です。

 

スコア関数の性質から期待値E[S(\theta_0)=0]であり、分散はnI_1(\theta_0)となるため、中心極限定理を用いるとn→∞のときに

 

\frac{S(\theta_0)}{\sqrt nI_1(\theta_0)}\sim N(0,1)

となります。

 

例題

さきほどの正規分布の例をまたみてみます。

フィッシャー情報量はすでに求めたので、スコア関数を求めます。とはいえ、和がつくだけなので先ほどの計算とほぼ一緒で

 

S(\mu)=\frac{\mu}{d\mu}\sum_{i=1}^{n}logf(x_i)\\=-\sum_{i=1}^{n}\frac{(-x_i+\mu)}{\sigma^2}\\=\frac{(n\mu+n\bar X)}{\sigma^2}

 

となります。1個のフィッシャー情報量は

 

\frac{1}{\sigma^2}

 

でした。

 

よって求める検定統計量は

 

\frac{(n\mu_0+\bar X)}{\sigma^2}・\sqrt\frac{\sigma^2}{n}\\=\sqrt\frac{n}{\sigma^2}(\mu_0-\bar X)\sim N(0,1)

 

となります。先ほどのワルド検定と±の符号が逆ですが、正規分布は原点を軸として左右対称なので特に問題はありません。二乗するとさきほどと同様にカイ二乗分布に従います。

 

 

 

データから得られた最尤推定値と帰無仮説の値を比較する、という点は全て同じです。図からイメージをつけておくと忘れにくいと思います。

 

参考文献:

現代数理統計学の基礎 (共立講座 数学の魅力)

現代数理統計学の基礎 (共立講座 数学の魅力)