J.S.ミルと自由について③
J.S.ミルが自由をなぜ重視したのか、その根底にある「功利主義」について書きます。
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目次:
功利主義とは
ミルを教えていたジェレミー・ベンサム(またはベンタム)に代表される考え方で、「最大多数の最大幸福」という定式が有名です。もっとも多くの人が幸福を享受できることを善とする考え方といえます。
昔、高校生の時に倫理の授業で聞いたとき、感じたのですが、「一部の人に大きい幸福があれば残りの人は不幸になってもいい=少数派を犠牲にする思想」と誤解されがちです。実際のところ具体的に功利主義者の行動をみていくとそういった思想ではないことがわかります。
事実として、ベンサムは18世紀ごろにも関わらず同性愛について認めていたり、動物のもつ権利を主張していたりと現代になっても論争となることを、相当先だって主張していました。このような考えは当時明らかに少数意見ではありますが、功利主義が慣習に囚われず、「一人ひとりの平等性」のもとに「最大多数の最大幸福」を考えることにつながっていると思われます。
ミルも同様に平等への運動として、①で述べた女性や労働者の選挙権拡大を求めています。1867年の選挙法改正案の審議において、法案の文章を男性のみに選挙権を与える"man"から女性も含めた"person"に変更すべきだという修正案を出しています。残念ながらこの時は反対票が多く、否決されましたが、決して「功利主義」が少数派や社会的な弱者の利益を軽視する考え方ではないことが分かります。
では、同じ功利主義に基づく中でベンサムとミルの違いは何なのでしょうか。
質的功利主義<ベンサムとミルの違い>
ベンサムは功利主義の原則として快楽と苦痛を考えました。彼は著作である『序説』の冒頭で以下のように述べています。
自然は人間を二つの絶対的主人、すなわち苦痛と快の下に置いた。ひとえにこの両者が、われわれが何をすべきかを指摘し、われわれが何をするであろうかを決定する(ジェレミー・ベンサム『序説』より引用)
快楽主義といわれることもありますが、これは快楽と苦痛に内在的価値(=それ自体が価値のあるもの)を置いています。内在的価値はある種それ以上に何かを求めるものではないので、究極的な目標といえます。
快楽といってもいろんな種類があると思いますが、ベンサムはその総量に焦点をあてており、低俗だろうが良しとしました(量をどう推定するかは議論の余地がありますが)。例えば低俗とされるセックスの快楽は誰しも平等にあるもので、他者に危害が及ぶものでなければ、当時は批判されていた同性愛でもなんでも性的嗜好は許容されるべき、と主張しています。
ですが、快楽の総量を良しとする考えにはひとつ問題があります。快楽の総量さえあれば、食っちゃ寝を繰り返す動物のような生き方が良いのかどうか。
これに対してミルはどうかというと、冒頭に述べた有名な文が違いを表しています。
満足した豚であるより不満足な人間である方がよい。満足した愚者であるより不満足なソクラテスである方がよい。そして愚者や豚の意見がこれと違っていても、それは彼らがこの問題を自分の立場からしか見ていないからである」(ミル『功利主義』より)
「満足した豚」とは食事を十分にとり、よく眠り、快楽を十分に得ている状態ですが、「不満足な人間」は快楽の量としてそこに満たないまでも、より質の高い快楽(文学や演劇、音楽などなど)を得ることができている状態を指しています。両方の立場を経験して、これらを比べたときに、ほぼ全ての人間が「豚になりたい」と思うかどうか、を問うています。
こうした快楽における質も考慮する考え方は「質的功利主義」と言われることがあります。
この点がミルとベンサムの違いですが、質的功利主義には疑問が付きまといます。それはどうやって質を決めるのか。
功利主義は多くの場合、快楽や幸福を内在的価値としています。これはパッと聞いた感じ多くの人に納得しやすい答えです。幸福になりたいかと言われたらそりゃなりたいです。
ですが、質的功利主義となると、その質が快楽以外に何なのか、考える必要が出てきます。例えば高尚な快楽としてオペラや文学、高尚なクラシックを考えたときに、何をもって「質が高い」というのでしょうか。
仮にこれを「人間らしさ」としてみると、快楽以外に「人間らしさ」を内在的価値として認めなければならなくなります。そうすると果たしてそれは功利主義といえるのか。この矛盾は現代の功利主義者である、ピーター・シンガーの『功利主義とは何か』で指摘されています。
こうなると、ミルの功利主義というのは土台を失いかけるわけですが、あくまで功利主義の原則に沿っていない、ということであって、主張したいこと(純粋な快楽の量だけが人において重要ではない)は理解できます。
続いて次回で功利主義→自由の重要性にどうつながっていくのかを書いていきます。
参考文献(前々回記事で内容は紹介しています):
杉原四郎著『J.S.ミルと現代』
ピーター・シンガー、カタジナ・デ・ラザリ=ラデク著『功利主義とは何か』
児玉聡著『功利主義入門』
中村隆之著『はじめての経済思想史』