J.S.ミルと自由について④
J.S.ミルが『自由論』で最も主張したかった他者危害原則について、まず簡単に触れて書いていきます。功利主義と自由の重要性の関連について少し書きます。
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目次:
他者危害原則
J.S.ミルが著作『自由論』で主張したかったことは本の中に明示されています。
本書の目的はきわめてシンプルな原理を明示することにある。…(中略)…その原理とは、人間が個人としてであれ集団としてであれ、ほかの人間の行動の自由に干渉するのが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られるということである。(J.S.ミル、斉藤悦則訳『自由論』より引用)
これは他者危害原則または他者危害原理と呼ばれる、ミルが提示した有名な原則です。その根拠と適応について主に語ったのが『自由論』です。
『自由論』は1859年に書かれた本でありながら、現代の普通の人(自分)が読んでも非常に明快に分かるという点には驚きます。大した事前知識がなくとも意味は分かりますし、当時の個人への制約に対してどう思っていたか、その状況も感じ取ることができます。
この他者危害原則において
①自由とは何か
②自由は原則に沿う限りなぜ限界まで重視されるのか(ここが功利主義と関連)
③特殊なケースはどうか
をミルがどう論じているか、見ていきます。
自由とは何か
まず自分しか影響を与えない(=他者に影響しない)守られるべき自由の固有領域については『自由論』の冒頭で述べられています。
第一にそれは意識という内面の領域を含む。そこでは、もっとも広い意味での良心の自由が要求される。ものを考える自由、感じる自由。…(中略)…第二に、この原理は好き嫌いの自由、目的追及の自由を要求する。…(中略)…第三に、各個人の自由から、同じ制限の下でではあるが、個人どうしの団結の自由が出てくる。(J.S.ミル、斉藤悦則訳『自由論』より引用)
一つ目は言論、思想の自由を含みます。二つ目はどんな結果でも引き受ける覚悟があれば、自分の性格にあった行動をとる自由です。ミル自身もやっていた人妻との不倫はここに入るんじゃないでしょうか。三つめが団結の自由。ただし、これは人にだまされたり、強制されてはいるものではない場合に限ります。
ミルは自由についてまずこう語り、その次の章で思想・言論・出版の自由が必要とされる根拠を、さらに次の章で「自分の性格にあった行動をとる自由」=「個性を重視すること」が人にとって幸福である根拠を述べていきます。
自由は原則に沿う限りなぜ限界まで重視されるのか
まず『自由論』でミルは他者危害原則において自由が制限される場合を以下の理由で述べています。
私の見るところ、効用こそがあらゆる倫理的な問題の最終的な基準なのである。ただし、それは成長し続ける存在である人間の恒久の利益にもとづいた、もっとも広い意味での効用でなければならない。こうした恒久の利益という視点に立てば、個人の自発性を外部から統制することも正当とされると言いたい。(『自由論』)
つまり、未来も含めた人類全体のことを考えたときに、不利益である場合にのみ、自由が制限される、と言いたいようです。
これと全く同様に、思想・言論・出版の自由も未来も含めた人類全体の利益を考えて、完全に自由が守られるべきである、としています。
しかし、意見の発表を封ずるのは特別に有害なのだ。すなわち、それは人類全体を被害者にする。その時代のひとびとだけでなく、のちの時代のひとびとにも害を及ぼす。(『自由論』)
理由として、たとえ意見をしているのが、たった一人だとしても、その意見が正しい場合、人々が間違いを直すチャンスを失ってしまうこと。そしてその意見が間違っていた場合でも、批判により正しい意見が研ぎ澄まされて、より鮮明になることを挙げています。
これは確かに納得できる話ですね。
ただ、例えばその意見というのが人格攻撃になってしまう場合や(最近はSNSを引き金とした自殺も問題になってます)、多数派の意見が明らかに正しいときにいちいち他の意見を聞く必要があるのか、など気になる点は出てきます。そういった点にも詳しく論じているので、そこはまた次回に書きます。
参考文献(最初の記事で内容は紹介しています):
ミルの主要な著作でありながら、大変分かりやすく読める本です。興味が出てきた方は直接これを読むことをお勧めします。
杉原四郎著『J.S.ミルと現代』
ピーター・シンガー、カタジナ・デ・ラザリ=ラデク著『功利主義とは何か』
児玉聡著『功利主義入門』
中村隆之著『はじめての経済思想史』