ここまでは知っておきたいメタアナリシスの読み方① -システマティックレビューとメタアナリシスの違い-
以前は生存時間解析の論文を、ロジスティック回帰分析やハザード回帰分析の詳細をみつつ紹介しました。
次はエビデンスでいうと最も信頼性が大きく強いメタ解析(meta-analysis)について書いてみます。
一番強いエビデンスでありながら、内容をちゃんと理解していたかと言われると、「とりあえず論文を集めて結果を合わせてるんでしょ、だから一番強固なんだよね」ということ以上には知りませんでした。そこで今回はもう少し掘り下げて、強固であるはずのエビデンスのどこに問題点が生じうるか、どう評価すればいいか、を書いてみようと思います。
システマティックレビューとメタアナリシスの違いは?
そもそもシステマティックレビューというのもありますが、これとメタアナリシスの違いは何でしょうか。
実際論文には"Systematic Review and Meta-analysis"というのがあるように両者はともに存在しつつも、片方ずつでも書かれうるものです。
システマティックレビューは
ある一定の仮説をたてる(PICOなどで定式化)
↓
検索条件をつけてPubmed, Medline, Cochrane databaseなどで検索をする
↓
↓
候補となる論文をチェックする
↓
バイアスリスクを評価し、データを抽出
↓
まとめる
というものになります。
これに対してメタアナリシスは上記の手順で抽出されたデータの「効果などを統合して信頼区間を算出し、さらにその効果の信頼性を評価する」ということを行います。
なので、「データの統合」という作業がメタアナリシスにとって最も重要な作業となるわけですね。
次は、抽出した論文に対してのバイアスについて書く予定です。
(2021.06.28追記 医学論文の読み方関係の記事はこちらにまとめました)
参考文献:
これめちゃくちゃお勧めです。JAMAが出している医学論文の読み方を解説した本で、様々な手法の医学論文を網羅的に説明しています。論文読むたびに一度これを読んで、解釈にどういった注意点が必要なのかを確認しながら進めると、確実に論文を評価する能力と読むスピードが上がると思います。
ちなみにこちらが翻訳版です。読んでいるのは原著ですが、英語もさほど難しくないので原著でも読みやすいです。
脳波について自習してみる③ -突発性の異常(正常亜型)-
脳波の自習まとめを引き続き暇あればやってます。
前回記事はこちら
脳波について自習してみる② -非突発性徐波- - 脳内ライブラリアン
今回は突発性の異常所見のなかで正常亜型について。
これが一番難しいと思うんですよね、、、。アーチファクトとの見分けもつきにくいし、てんかん性放電とも見分けにくいし。突発性なのかどうかよくわからないときもあるし。
とにかくひとまずは勉強してみます。参考文献は最後に入れておきますが、文献の他、過去にてんかんの教育セミナーで学んだことも書いてます。メモ程度のまとめなので、参考にする人もいないとは思いますが、診療にそのまま使わないでください。
①頻度・疫学、②出るタイミング③部位、④特徴・注意点の順に記載してまとめてみます。
目次:
非賦活時(覚醒で何も負荷なし)にみられる正常亜型
ミュー波
①若年成人で数%にみられる。
②覚醒時
③両側中心部(C3,4)にみられ、片側に局在することもある
④9-11Hzの櫛状波、対側の手を握ったりすると抑制される。
開眼では抑制されないため、α波が開眼で抑制されたときに目立ちやすく
形状から棘波との混同に注意が必要。
ラムダ波
①31-50歳で36%近くにみられる
②興味のあるものをみているときに後頭部が陽性荷電するため認められる
明るい部屋でテレビをみているときなどにみられる
③後頭部
④50μV以下であることが多い、Sharp transient
若年者後頭部徐波 posterior slow waves of youth
①8-14歳で最もみられ、21歳以上では稀。
③後頭部にみられる
④2-3Hzの徐波で、α波と混じると棘徐波複合に見えるときがあるので注意。
slow α variants
④4-5Hz程度でα波と交代性もしくは混合して出現する。
α波の1/2ほどの周波数で調和的な関係にある。
6Hz棘徐波(FOLD, WHAM)
①若年成人で主にみられる、2.5%ほど
②リラックスした覚醒期~傾眠期に出現
③両側同期性、全般性。
④spike&wave patternだが
出てくる状況によって解釈が異なる。
female, occipital, low(50μV以下), drowsy→病的意義はない
waking, high(50μV以上), anterior, male→てんかんで多い
ブリーチリズム
③骨欠損した部位にみられる。
④振幅の高い速波もしくはミュー波様の波形が目立つ。
徐波を伴うこともある。
入眠時~睡眠時にみられる特徴的な脳波
睡眠時後頭部陽性鋭一過波positive occipital sharp transient of sleep(POSTS)
①15-35歳で良く認められる
②入眠期(第Ⅰ期)
③後頭部
④4-5Hzの陽性鋭波、非対称性もある、連発することもある
頭蓋頂一過性鋭波(vertex sharp transient)
②入眠期(第Ⅰ期)
③頭蓋頂
④高振幅の鋭波
紡錘波(spindle)
②入眠期(第Ⅱ期)
③前頭部~中心部優位
④12-14Hz、精神遅滞や脳性麻痺だと広汎にみられることがある
K複合(K complex)
②入眠期(第Ⅱ期)
④陰性陽性の2相性高振幅徐波とそれに続くspindle
睡眠時にみられる正常亜型
小鋭棘波small sharp spikes(SSS)
①健常成人の25%でみられる
②入眠~軽睡眠時
③側頭部に多い、両側・片側性ともにある
④常同的、非周期性に出る
低振幅(50μV以下)かつ持続が短い(50ms未満)
14&6Hz陽性棘波
①12~20歳でよくみられる、20-60%
②主に入眠期
③後頭部~側頭部、両側・片側性ともにある
④櫛型、律動性の陽性棘波、14Hz+6Hzがセットでみられる
律動性中側頭部放電rhythmic mid-temporal discharges(RMTD)
①若年成人にみられる
②傾眠期
③側頭部、両側・片側ともにある
④律動性θ波、5s~1minほど持続
ウィケット棘波
①50歳以降に0.9%でみられる、30歳以上が大半
②入眠期~軽睡眠期、まれに覚醒期にもみられる
③側頭部、両側片側ともにあり
④単相性、wicket(小窓)のような形をしている、μ波に似ている
成人無症状性律動性電気的放電subclinical rhythmic elctrographic discharges of adults(SREDA)
①慢性虚血や低酸素状態に関連するとされており、高齢者でみられる
④高振幅・単相性の鋭波もしくは徐波→周波数が増えていき4-7Hzの正弦波パターンとなる
参考文献:
現在セルフラーニングに使用中です。
図が大きくて文章も少なめで読みやすいです。
誘導も図をみながら分かり易く解説されてます。
読みやすさはNo.1。通読可能で一番最初に読むものとしてお勧め。
仮説検定とp値の定義式【統計検定1級対策】
今は過去問を地道に解いているところですが、P値と仮説検定の問題をやっていたら、式だけ見ていると混乱してくるので一度まとめてみます。P値の意味はある程度わかるけど、数式になると混乱しちゃうよっていう人向けです。
P値の定義について分かり易く説明しているページは結構あるのですが、実際の式を立てて計算となるとあんまり解説してるとこないんですよね。
2015年の統計検定1級の問題2を例に進めてみます。
問題の概要としては
とするとき
とする。
(2)に従って、このときののときのP値を標準正規分布の分布関数を使って表してみようと思います。
目次:
検定統計量とP値の定義式
仮説検定では、まず、帰無仮説のもとで、得られたデータの数値が起きる確率がどの程度になるのかを調べます。確率を出すために使われるデータの値を検定にかける統計量であるので、検定統計量といいます。今回の問題ではですね。
P値は得られたデータの観測値が、起きる確率のことを言います。
まずP値の定義式は
式で書くと、検定統計量をT(x)として、帰無仮説の条件を例えばとする場合
となります。
問題に当てはめてみる
実際の先ほどの問題で考えてみます。
検定統計量はだったので
となります。
ここで問題なのは、ここで求めたい確率が式とにらめっこしても出てこないことです。
を確率の分かる分布に変えなければいけません。
ここでよく使われるのが、標準正規分布やt分布です。
今回はそもそも元の確率変数の分布が正規分布に従い、分散もわかっているので、標準正規分布に変換します。
の分布を考えてみると
帰無仮説の条件下ではであり、また分散は元の分布の1/nであるため
となります。こいつを標準化してやればいいわけです。
これを使って、さっきの式を変形します。
この式の状況を図で表してみます。
まずは標準正規分布に従うので確率密度関数は以下の図になります。
久しぶりの汚い手書き図です(笑)PCで描く方が面倒くさいので、、、。
そして先ほどの式が表す確率(P値)はグラフのうち、斜線の面積を意味します。
ということは問題であった標準正規分布の分布関数を用いると、と表すことができます。
ついでに有意水準と上側100α%点の話
有意水準αはこのP値の数値の中で「有意な差がある」と考える基準となる値を言います。α=0.05が用いられることが多いですね。
この有意水準に当てはまるような観測値のことを、正の数で大きいほうであれば上側100α%点と言います。式ではと書かれることが多いです。
再度図でみてみるとこうなります。
これがであれば右側の斜線部の面積は5%となります。式だけみてるとやっぱりイメージがつきにくいので、(自分の汚い図はともかくとして)自分で一度図を書いてみるとすっきり整理できるかもしれませんね。
参考文献:
いつも愛用のこちらをみつつ、考えてます
論文のデータや図表をブログに引用する際の注意
昨日は著作権に関する本を紹介しました。医学系のブログで論文の図や表、データなどが貼り付けられつつ、まとめられている記事をよく見るのですが、前々から疑問だったのは「これって著作権的によいのか?」という点です。医学に限らず論文・書籍などの図表・データを載せることはどうなのか。この本を使いつつ考えてみます。
目次:
原則的には引用は許可不要、転載・複製は許可が必要
まず大原則ですが、著作物に対して「引用」は許可なく可能ですが「転載」や「複製」は許可が必要です。これはネットでもよくまとめてある話なので情報発信系のブログを始める前に必ず知っておく話だと思います。
これらの違いは何かというと、基本的に著作物をそのままコピーしてブログに載せる行為(「転載」「複製」)は著作権の侵害に当たります。ですが、それを常に全て適用していると、議論もなにもできたものではないので、例外として「引用」の場合にはそれが適応されません。
「引用」の基本は以下の4点になります。
(注5)引用における注意事項
他人の著作物を自分の著作物の中に取り込む場合,すなわち引用を行う場合,一般的には,以下の事項に注意しなければなりません。
- (1)他人の著作物を引用する必然性があること。
- (2)かぎ括弧をつけるなど,自分の著作物と引用部分とが区別されていること。
- (3)自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること(自分の著作物が主体)。
- (4)出所の明示がなされていること。(第48条)
(参照:最判昭和55年3月28日 「パロディー事件」)
実際に文化庁のHPより引用してみました。このように”引用”部分を明確に分けることは(2)を満たします。この記事の大部分は、自分の言葉で書いており、文化庁HPからの文章ではないので(3)を満たします。(4)は上に明示しました。(1)は基準がなかなか難しいと思うのですが、要するに「その著作物」以外のもので使えるのかどうかという点です。例えば建物の写真を無断で使った場合、それを自分で撮った写真ではいけなくて、「その引用してきた写真」じゃないといけない必然性があるかどうかということになります。
「複製」「転載」は逆に言うと上記の条件を満たさないことになるので、コピーしてきた文章が大半を占めるような記事はダメということになります。
「翻案」とは?
自分の言葉でまとめたものであっても注意が必要なのは「翻案」です。これも著作権侵害(同一性保持権の侵害)となるので知っておかないといけません。「翻案」とは何かというと著作物の考えが直接的に感じ取れるような範囲で内容を改変する行為です。より明確な言葉で示すと、、これも引用させていただきます。
著作物の翻案(同法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更などを加えて、新たに思想または感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の方現状の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいいます(最高裁平成13年6月28日「江差追分事件」判決)
(医療従事者のギモンに答える!トラブルに巻き込まれない著作権のキホン 服部誠著p.5より引用)
つまり若干手を加えて、ほぼ同じようなことをくみ取れるような内容はダメということですね。なので記事や論文を自分の意見や他の考えを入れずに、ただ要約しただけのものなどもアウトということになります。線引きが難しい話ですが。
グラフやデータにそもそも著作権があるか
著作物というのは「『思想又は感情』を表現したものであること」(著作物について | 文化庁より引用)とされています。実験で集められるデータというのは自然現象の記録であるため著作物には当てはまらないと考えられます。著作物ではないのであれば、「転載」だろうが「複製」だろうが何でもありか、、、と思ったら間違いです。これらのデータのまとめ方によってはある種の思想が入り込む余地はありますし、著作物にあてはまる創作性がある可能性があります。この辺がどこまでが許されるのかは専門家でないので明言できませんが、ただのデータとはいえ、特に医学論文の場合、相当な労力と費用がかかっているのは間違いないことで、それを勝手に「転載」されるのはどうかと言われると、反感を買う場合は十分あるでしょう。
主要ジャーナルであればNEJMは転載許諾を日本語版でもホームページに記載しています。
転載許諾 | The New England Journal of Medicine(日本国内版)
どうしても必要な場合は問い合わせるのが無難かなと思います。まあ、ブログの場合はそこまでして載せることもないでしょうけども。
結局ブログについてはどうなのか
主に自分の意見を述べたうえで、「引用」 するのはOK。たとえ言葉が違っていても内容要約のみにとどまるものや自分の言葉が少ない場合、図表を勝手に変えたり、追加したりして使ったりするのもアウトということですね。
以前書いた「医学論文から統計を勉強してみよう」という記事で本当は論文の図表を使って説明したい気持ちがあったのですが、「著作権的にどうなんだ?」と思ってやめました。
引用の範疇に入ると考えればOKな気もしますが、この内容を語るのにこの論文である必然性があるのかどうかとか色々考えると自信がもてなくなるので避けました。今度記事を書くときは自分でそれっぽい適当な図表を書いてやるようにしようかなと思います。
参考文献:
昨日紹介した本ですが、上記の話に当てはまる判例や細かい権利の解釈なども触れられており、おすすめです。
政策について→著作権、のあたりに情報がまとめてあります。プライバシーポリシーなども、お手本の如く きちんと書かれているので参考になります。
医学の発表・記事・論文書くなら一度は読みたい著作権の本「医療従事者のギモンに答える!トラブルに巻き込まれない著作権のキホン」
医師が弱い3つの分野をご存知でしょうか。
それは政治、経済、法律です。(※あくまで個人の見解です)
医師というのはどうしても学ぶことが無限にある医学に勉強分野が偏らざるを得ないので、他のことを学んでいる余裕がないことがおおいです。よく病院にも不動産投資のセールス電話がかかってくるのですが(しかも勤務中に!悪質です)経済に疎いとだまされる医師がいるのでかかってくるのです。
しかしながら口頭発表や論文作成などするうえでかかせないのは著作権に関する知識。そこでこんな本があったので読んでみました。
南山堂の月刊誌「薬局」で連載された記事をまとめたもので、医療従事者が普段ぶつかるような著作権に関する疑問をQ&A方式でまとめています。実際、このブログで医学論文を扱う際のことが知りたくて買ったのですが、そこはまた後日記事にするとして、今回は書評のみに留めます。
ちなみに著者について調べてみましたが、なんと米国の司法試験まで取っているようです。知的財産などを専門にされています。著者のサイトの法律事務所の利用規約にはきっちりとリンクフリーではない旨と、著作権について明示してありました。さすがです。
意外と多い著作権絡みの問題
口頭発表を初めてするときは何となく上級医の発表を参考にしたりして「こんなもんかな」と引用の仕方もマネをしていますが、ふと使われている写真やイラストをみたときに、どこまでが著作権を意識しなければいけないのか、また配布する資料などはどうなのか、気になったことはないでしょうか。
意外と日常的な発表で使う機材や薬品、有名人の写真、イラストについても十分に気を付けないといけません。本書ではそういった事柄について、法律的にどの点が許されて、どの点が許されないのか、実際の判例も交えながら、図も用いて分かりやすく紹介されています。比較的ページ数も多くないので1時間ほどでさらさらと読めるのも良いところです。ネットの画像やイラストはさすがに使っちゃいかんのは分かるので、自分の場合は基本的に「いらすとや」などのフリー素材サイトを頼ってます。
また話がややこしいのは論文・共同研究、二重投稿などについて。これは確かにもめると大変です。出した論文が撤回なんかされた日には涙が出ます。実際に論文を出す前によく読んでおきたいです。
著作権上の例外である「引用」については、分かりやすく説明したwebサイトも結構あるので、ブログを始める頃に調べて知ってはいましたが、グラフやデータがそもそも著作権が発生しないものもあることは知りませんでした。(誰がやっても同様に得られるデータは自然なものであり、著作権はない、、、が表・グラフなど描いた人の考えが入るとどうもそうとは言えない)この辺の細かな違いはなかなかネットだと正しい知識か不安になるのでやはり一冊確かな知識になる本を持っておきたいです。
判例って面白い
本書中にはさまざまな判例が出てくるのですが、単純に、「そんな訴訟あるんかい」ということと「法律をどう解釈するか」ということで面白いです。”博士イラスト事件”とか”タウンページ・キャラクター事件”(検索すると出てきます)なんかはもう他人の空似じゃん、、、としか思えないのですが、訴訟になると考えると恐ろしい話です。
何らかの発表の機会が少しでもある医療従事者は一度は通読することを勧めたい一冊です。
世界史というよりは貨幣の”多面的”な歴史「貨幣の『新』世界史」
今日は書評です。普段本はkindleか、hontoなどの電子書籍で買っているのですが、経済関連の本を色々買っていたら、hontoからお勧めされたのがこの一冊。
お金というものを多面的に見る
「歴史的なお金の”流れ”の変遷」 という意味では「お金の流れでわかる世界の歴史」の方が面白いです。
ただ、”貨幣”という今の生活では当たり前に使われているものを、見直してみる、ということに焦点を当てたのが本書の面白いところでしょうか。精神的なルーツ、行動経済学も含めた心理面でのお金の存在、ソフト(紙幣~ビットコインなど)・ハード (金属の貨幣)な貨幣がどのように成り立ってきたか、宗教とお金、など多方面にわたって貨幣について考察されています。
それぞれの項目は筆者の専門家への取材をもとに成り立っており、世界史とは言うものの、前述のように歴史的な変遷をみるよりはエッセイ的で流れが強くない文章となっているため、体系的な理解をするのは難しいです。
行動経済学・神経経済学の話のあたりは知っているので比較的スムーズに読めましたが、古代~中世の歴史に関してそこまで詳しくないので本の中盤は正直詳細には読めませんでした。著者が多彩すぎます、、。
長い歴史で培われた「お金」の特殊性
個人的に面白く読むことができたのは”ソフトなマネー”、つまり紙幣などのそもそもは価値がないはずのものがいかにして安定した価値を築いてきたかということ、そして本来何でもないただの紙切れに対して今や脳が特別な反応を示している点です。本書はミルトン・フロードマンの言葉を引用して以下のように延べます。
「緑色の紙切れに価値があるのは、価値があると誰もが信じるからだ。」(本書p.138より引用)
こうして人々が紙幣の価値を信じられるようになるには長い歴史がありました。本書ではフビライ・ハンからベンジャミン・フランクリン、ほぼ現代まで、いかに貨幣の信用とその量の調整が難題だったかを述べています。確かに考えてみれば、政治も安定しない状況で保証も定かでない紙幣を人々が信じることは困難であることがわかります。
それが現代では、幼少期からお金がいかに重宝されているかを目の当たりにすることで、もはや価値以上の存在になっています。
「投資が利益につながりそうな人の神経細胞の活動は、コカインやモルヒネでハイになっている人のケースと区別がつかない」(本書p.94より引用)
お金について考え抜くことで、こうした熱狂を少し引いた視点で眺めるヒントになる一冊かもしれません。
プロ患者と医師の違いから考える独学の話
正式な用語ではないのですが、罹病期間が長い病気にかかられている方、繰り返しやすい病気にかかっている方は自身の病気について下手な医師よりも詳しくなることがあり、”プロの患者”となることがあります。
神経内科でいうと免疫関連の疾患(多発性硬化症、重症筋無力症、視神経脊髄炎、CIDP)なんかがこうした疾患にあてはまりやすいです。あとは他の科になるますが、腫瘍とかが多いでしょうか。
ふと思ったのですが、今ブログで自分が学んでいることは基本的に独学で、プロの患者も独学であることが多いなと思うと何となく共通点がありそうだな、と思い立ったので、医師側の視点から書いてみます。
前提となる基礎知識の違い
医師は基本的に大学6年の教育で、2年ほどは基礎医学的な教育を受けます。解剖学、生理学、生化学、薬理学、、、などといった体や治療の仕組みの大原則となる学問についてです。まあさほどそのころ真面目に授業受けてなかったとしても、それなりに原則的なルールを知ることができます。プロ患者の方はたまにですが、こうした理論を逸脱した仮説を出されることがあります。それはこの前提知識の違いから来ているように思います。
体験の一般化
もう一つ起こりがちなのは、プロ患者さんの場合、基本的にその疾患についての知識は主に体験によってくるため、自己体験あるいは他の患者さんのブログ・患者会で出会った別の患者さんなどの体験に依ってくることが多いと思います。それを過剰に一般化される場合もあります。よくあるのが、典型的な患者さんよりも症状が重い方に典型的な患者像を説明すると「もっとみんな大変なのかと思ってました」と言われます。
かといって、医師がこの体験の一般化の影響を受けないかと言われると当然そうではないです。もちろんデータとして病気の特徴をみたり、患者さんが経験するより、多くの患者さんの状態を経験してくることはありますが、それでも稀な病気やデータが不十分である場合、勉強不足の場合は、この影響を受けざるを得ません。
狭い一点をみればプロ患者の方が詳しいこともある
プロ患者は当然ながら自分の体のことなので、自分の病気の型や薬については細かく掘り下げます。医師は膨大に増えゆく医学知識の中でいろんな病気やさまざまな型について知らないといけないので、ある一つの病気の型についてはそこまで知らないこともありえます。そうするとプロ患者のほうが新しい知識に詳しいこともあるわけです。珍しい病気だとそういうことも起こりやすく、患者さんに言われて「、、、あ、そうなんですね」となったことも正直多々あります(特に担当して最初のうちは)。
一番大事なのは患者と医師とともに、お互いの知識の限界を素直に認めながら最善の策を相談していくことだと思います。逆に自分の考えにあまりに固執する医師や患者というのは良い関係や結果を生みません。
自分が神経難病の患者さんで、毎日症状を客観的な数値を使って記録をつけて、治療の時期や方法を相談してくださる方がいます。まめな性格ということもあるのでしょうが、お互いにとって一番良い医療ができることにつながっています。例えば、高血圧の人が血圧をきちんと測るということもそうでしょうか。
患者さん側から集められる知識と医師が集められる知識はどうしても差異が生じます。医師も何でもわかるわけではないですし、患者さんも知識を勘違いすることもあるので、これはお互いにしょうがないことだと認めなければいけません。患者さん側から「素人意見で恐縮なのですが、、」と申し訳なさそうに自分の考えを言われる方がいますが(さらには言えない人もいるのだと思います)、気になることは言っていただけると、病気に立ち向かうヒントにつながるかもしれません。ただ、日本の医師は常に外来の時間に追われているのでゆっくり話せないことが問題ですけどね。
独学との関連
すっかり話が飛んでいってしまいましたが独学との関連について。独学だとどうしても、その分野の人が本来学んでいる基礎知識が抜けてしまうため破綻した理論となってしまったり、普段の経験を過剰に一般化してしまったりということが起きます。ただ裏を返すとその分野の人には出てこないようなアイディアを出すこともできるという利点につながります。医師-患者関係にアナロジーをみるのであれば、専門家とまじりあったときにより良いものが生まれるのかもしれません。