脳内ライブラリアン

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医療、統計、哲学、育児・教育、音楽など、学んだことを深めて還元するために。

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救急外来診療におけるエラー

さて、今日は1日救急外来診療でした。
うちの病院は他の周囲の病院と同様に研修医と自分たちのような後期研修医
さらに上級医が救急対応に当たるんですけども
やっぱり救急外来というのは何でもかんでも来るので
本当に入院時には診断が分からない症例というのも多いんですね。

 

ただ、「後医は名医」なんて言葉がありますが、後から後から情報が出るので
後々の対応をする我々のほうが診断には有利であることは間違いないです。

 

有利であるが故に研修医の対応をみながら、もっとこうするべきじゃないのかなと
思うことは度々あるんですが、どう振り返るのが適切なのか
どう学び直すべきなのか、をまだあまり検討したことがありません。

 

結局どれだけ本を読んだり知識だけつけても
個々の症例をきちんと学び直すこと以外に
医学の上達はないというのは先達をみていると確かなことなようです。

 

そこでそういったトピックをいくつかチョイスして書いてみたいなと思います。
誤った対応(エラー)が起きた際には何が原因となったのか
その振り返り方をまず学びます。
今回の参考文献は「長谷川耕平・岩田充永 内科救急見逃し症例カンファレンス 医学書院」です。

 


・診療におけるエラーとは

 

何が良くなかったのだろう、そう漠然と考える場合やはり

思考の癖が出て、問題の漏れがあったりするので難しいものです。

 

こうしたときに役に立つのは思考の枠組み。

問題を分類して整理すること、これが慣れないうちは最善の手段だと思います。

 

診療でのエラーは
無過失エラー no fault error
認知エラー cognitive error
システムエラー system error
の3つにわけられるとされています。

 

無過失エラーはその名の通り、医師に何も責任のないエラーです。
例えば患者が意図的に嘘の病歴をいう、前医からの情報が間違っているなど
防ぎようのないエラーのことを指します。これはどうしようもないものですね。

 

認知エラーは医師の思考の傾向による欠陥といえます。
例えば酔っ払いの患者が意識障害でやってきて、家族も「普段からよく
飲んでいつもこんな感じです」というのを言われ、ほって置いたら
実は硬膜下血腫だった。そんなバイアスの関わるエラーや、心電図変化があるのに
知識不足で読めていなくて異常なしと判断する、知識のエラーも含めます。
ここは次回また深く掘り下げます。

 

システムエラーは病院のシステム自体によるエラーです。
例えば引き継ぎの体制や検査を行う環境などが要因となり
個人というよりは病院全体の体制の問題となります。

 

個人単位で診療を振り返る場合、まず認知エラーを考え
正しい知識と判断を身につける必要がありそうです。

30年の縦断研究からみた新規抗てんかん薬の効果とは②

昨日は結局仕事で更新できず
ここのところ順調だった連続更新が一旦止まりましたが
まあどうにもならなかったので気にせずいきます。

 

今回は引き続き前回紹介したてんかんの縦断研究の論文の話。

 

Treatment Outcome in Patients With Newly Diagnosed Epilepsy Treated With Established and New Antiepileptic Drugs A 30-year Longitudinal Study

JAMA Neurol. 2018 Mar 1;75(3):279-286. doi: 10.1001/jamaneurol.2017.3949.

 

新規抗てんかん薬でも寛解率に変化がなかった、ということの他に
以前にも同じようなデータはありましたが、その患者にとっての
第一選択薬、第二選択薬、第三選択薬、第四、、、、とそれぞれ
薬剤を使っていった場合の寛解率の変化についても言及されています。

 

すると、1st regimenでは50.5%(820名)ですが
2ndで11.6%寛解率が増加するのみ、3rdではそれが4.1%、
4th以降は1%未満となっています。

 

初期に選択薬された薬剤で寛解しない場合寛解率はガクッと下がる
ということは知られていましたが薬剤の選択肢増えてきている割には
相変わらずなんだなあというのが正直な感想です。

 

今までに何剤か使用してきた人は確かに何を追加しても
変わらないことは多いですね。新規薬でピタッと止まる場合も
経験としてはありますが、、、取り立てて多いほどではないです。

 

そうなるとやはり寛解しない人というのは前回の話でいう
そもそもてんかんではない人とか薬剤の機序がそもそも現時点での
薬では効かないタイプという可能性は大いにありそうです。

30年の縦断研究からみた新規抗てんかん薬の効果とは

医療系と言っておきながらしばらく触れられていなかったので
たまには今年の読んだ論文について触れておこうと思います。

 

今回紹介するのはこれ
Treatment Outcome in Patients With Newly Diagnosed Epilepsy Treated With Established and New Antiepileptic Drugs A 30-year Longitudinal Study

JAMA Neurol. 2018 Mar 1;75(3):279-286. doi: 10.1001/jamaneurol.2017.3949.


JAMA Neurologyより以前から同様の研究を発表されている
グループから大規模なてんかんの縦断研究の話。

 

30年間自施設の新規に診断されたてんかん患者において
てんかん薬によって発作消失率(1年間発作なし)などのデータを調べています。

 

論文の主旨としては抗てんかん薬によって63.7%の人が発作消失(1年間発作なし)
を得られたとしていますが、これが実際1982-1992年のデータと変わりないとしています。

 

つまり、新規の抗てんかん薬がかなりの種類出ているにも関わらず
意外にも発作の消失率は改善していない、、、という報告なのです。

 

これは色んな捉え方ができると思います。
例えば
・新規薬は副作用は少ないが効果自体は既存の薬剤と変わらない
(ただ副作用が少なくてアドヒアランス向上するなら効果も上がって良い気がしますが)
・新規薬を臨床医が使い慣れていない(至適血中濃度も不明だし)
・難治性のてんかんが増加している(・・・根拠が特にない、高齢てんかんは増えていると思いますがデータによりますけどそこまで治療成績が悪くないはず)
・そもそも発作消失が得られない4割にはてんかんじゃない人がいる
あるいは既存の薬剤では効かない

 

昔のデータより改善していない、というのはやや残念な気持ちになりますが
副作用はせめて減っているんじゃないかと思いたいのは臨床医のエゴでしょうか。

第二言語を習得する場合、文法はどう学ぶのか

前回の記事では母語習得のときは文法を学ぶことは不要であることを
書きましたが、第二言語の場合はどうなのか。

 

個人的には基本的なこと、規則的に説明できる部分については必要と思ってます。

前回書いた通り当然ながらその方が効率がいいですし
文章の理解もより簡単に進みます。

 

ただ、文法といっても規則で説明できないものや(不規則動詞など)
感覚でしか説明できないような使い方というのもあると思います。

 

数詞なんかはそういう変化が多いように思いますが
例えば日本語における「匹」の数え方。
いっぴき、にひき、さんびき、よんひき、ごひき、ろっぴき
ななひき、はっぴき、きゅうひき、じゅっぴき
と数えますが、これって相当不規則な変化をしていますよね。

何でそうなるのかなんて意識したこともないくらい
自然に数えていますが説明しようと思うとかえって難しいように思います。

 

言語は基本的に無意識下に使えるようになる、というのが
最終到達点だと思っていますが
こういった説明しにくい不規則な文法や細かい複雑な文法になればなるほど
無意識下に使いこなすのは難しくなります。

 

これはどうするかと言えば、結局反復練習に他ならないと思うのです。
そしてそれにはやり方によらず膨大な時間が必要です。

 

事実、日本人が義務教育で英語を学んでいるのに話せない理由の一つが
圧倒的に時間が足りていないと指摘されていますが
言語の習得は本当に時間がかかるものだと思います。

 

以上のことから文法は基本的な事項は意識的に学んで
複雑なもの・不規則変化はとにかく時間をうまく割くことと
多量のインプット・アウトプットを行うこと(ここについてはいつかまた記載)
が必要だと思います。

第二言語習得における文法

前回の話に引き続いて言語学習について

 

言語を学ぶ場合、文法っていらないという過激な教育論者もいますが
どちらかと言うと少数派のように思います。

 

大人が言語を学習するときは文法事項を知った上で文を書いたり
話したりしたほうが、例文のみから覚えていくよりは遥かに
応用が効くし、効率が良いでしょう。

 

よく赤ちゃんが言語を学ぶように、とス◯ードラーニングのCMとかで
言っていますが、母語を学ぶ場合は確かに文法なんて学びません。

 

日本語を習得した我々が「は」「が」とか助詞の使い分けや
動詞の活用形なんて学ぶでしょうか。当然学びません。

 

そこで出てきたのが言語学者ノーム・チョムスキーが説いた「普遍文法」という
考え方です。

 

簡単に言えば、文法は学んで得るものではなく
もともと生得的に文法のもととなるものが
脳に予め用意されているということ。

 

実際子どもはいちいち教えられない文法まで習得していることが
この説を説明する強い根拠となっています。

 

第二言語習得の場合はどうなのか、については次回書いてみます。

第二言語習得理論 インプット仮説と自動化モデルについて

個人的に言語学習に対しては何故か幼少期から非常に興味があって
小さい頃から洋画を字幕でたくさん観たためか何だか分かりませんが
英語に限らず、複数の言語を生涯のうちに学んでみたいと切に思ってます。
実際中々そういう暇がないのが困ったところですが、、

 

そこで第二言語習得(Second Language Acquisition)の研究には
結構興味があって、言語関係の本も買ってみたりするのですが
中々実際への応用も難しいです。

 

ただ最近ネットのレビューをみて買った白井恭弘『外国語学習に成功する人、しない人ー
第二言語習得論への招待 岩波書店』は分かりやすくかつきちんと専門的な内容
であったので言語学習に興味がある人にはぜひオススメしたいです。

その中からまず言語習得理論における有名なクラッシェンの「インプット仮説」について
紹介します。

 

・インプット仮説とは

「言語はメッセージを理解することで習得される」
非常に簡単な理論ですが1970〜80年代の言語学習に大きな影響を与えたと
されています。
本文中には以下の例が示されています。

”一人は、友人の姪で、なかなか話し始めなかったのですが、初めて言ったことばが、「おかあさん、夕陽がきれいだねえ」だったそうです。もう一人は、アメリカ人の友人の弟で、彼の家族は当時、日本に住んでいて、友人の弟は日英語両方を聞いて育っていたのですが、日本語も英語も話し始めないので心配していたところ、ある日突然、日英語両方を流暢に話し始めた、という話です”

あくまで一例であって、全ての人やこれから言語を学ぶ成人に適応されるかは
異なるように思いますが、確かにインプットだけで言語が学習されていることを
示しています。
ただこの仮説はインプットにより言語は無意識的に習得されるもので
意識的に学習するものでは習得できない、という極端なものです。

 

・自動化モデル

そこで上記の理論に対して出現したのが自動化モデル。
実際に本や授業などで意識的に言語を学んで話せるようになった人もいるわけで
それを根拠とするのがこの考え方です。

例えば車の運転や自転車の運転など、いわゆる手続き記憶のようなものは
ほとんど意識せずに自動的に行われます。
これと同様に言語についても無意識的に使用されるようになるまで
学ぶ(自動化する)ことが言語習得に結びつくのではないかという理論です。

個人的にはこちらのほうが理にかなっているように思いますが
ただ確かに、自動化しようと思ったもの以外も知らないうちに
表現できるようになっていたりするものです。。
意識と無意識ということについてはまだまだ言語学習においても
解明が必要なようですね。

 

2020/7/18追記:新しく内容を増やして記事を書き直しました

第二言語習得論/クラッシェンのモニター・モデルについて【英語など言語学習者向け】 - 脳内ライブラリアン

ブログを書くことを習慣づける方法②


引き続き『僕たちは習慣でできている』より引用していきます。

『STEP 20 毎日やるほうが簡単』
『STEP 21「例外」を即興で作らない』

これは確かにな、と納得させられた方法です。
著者によれば『意識を呼び出さず、「ほとんど考えずにする行動」』それが習慣としています。
毎日やっていることであればより、ほとんど考えずにできるでしょう。

例えば朝顔を洗う、歯磨きをする、朝ご飯を食べる、なんてことは
毎日毎日繰り返しのことであって意識してやろうとすることは全くありませんし
それをやるために頑張る必要も全然ありません。

毎日繰り返すことでこうした行動と同じく負担なくやれるようになる、ということですね。

ブログを毎日内容を考えて書くというのは確かに楽なことではないんですが
繰り返しやっていたら、、、自動的に取り組むようにはなるのかもしれません。

次のステップの『STEP 21「例外」を即興で作らない』は毎日やると合わせて重要なtipsです。
今日は疲れたからいいか、今週は忙しいからいいか、、、、というのが続くと
今回のように気づいたら一か月更新が止まったりしてしまいます。

例外をすぐに作らない。これもひとつの習慣化の鍵と言えます。
短くても手抜きしてでもとりあえずやってみることが大事なのでしょう。
そんなわけでしばらくまた頑張ってみようと思います。