脳内ライブラリアン

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医療、統計、哲学、育児・教育、音楽など、学んだことを深めて還元するために。

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BCG接種とCOVID-19についてのresearch letter“SARS-CoV-2 Rates in BCG-Vaccinated and Unvaccinated Young Adults”

2日前にイスラエルから興味深い論文がJAMAに出ていたのでご紹介します。

https://jamanetwork.com/journals/jama/fullarticle/2766182

 

コロナウイルス感染とBCGワクチンとの関連についてです。BCGワクチン接種が義務化されている国などで感染者数が少ないのではないかという仮説から有効性が昨今検討されています。ただ、難しいのは国ごとにあまりにも感染状況が異なるため、比較検討できないことが一つの問題です。

 

そこでこのイスラエルの論文が面白いのは、偶発的に生じたBCGワクチン接種群vsそうでない群で比較している点です。こうした比較群が設置しにくい研究では偶発的な状況を生かすことは上手くできれば非常に有用です。

 

今回はどのような状況を生かしたかというと、イスラエルでは国の政策で1955年〜1982年までBCGワクチン接種を推奨しており、90%以上の接種率を達していました。それを(恐らくは国内の結核感染が減ったためでしょうか?)1982年からは結核罹患率が高い国からの移民のみ、BCG接種をする方針に変えています。

 

そうすると1982年を境にBCG接種者と非接種者が分かれることになります。まさに偶発的な状況です。

 

ただ、年齢によって罹患率が異なる可能性が高いため、この研究では1982年以前3年間に出生した人と以後3年間に出生した人を比較しています。年齢としては39〜41歳と35〜37歳(38歳の人は以降期)を比較していることになります。

 

コロナウイルスの感染についてはPCR検査陽性を判定基準とし、カイ二乗検定で二つの世代の陽性率の有意差を出しています。

 

結果としては

39〜41歳 3064名 陽性率 11.7%

35〜37歳 2869名    陽性率 10.4%

よって差は1.3%(95%信頼区間-0.3〜2.9%, p=0.09)で有意差なしという結果となりました。

 

なお、この中で死亡者はなく、人工呼吸器/集中治療室管理となったのは両群で1名ずつでした。

 

つまり、感染しやすさに関しての差はなかったという結果です。重症化の有無は数が少なすぎてこの年齢だと比較は困難でしょう。

 

以上の結果を踏まえるとこの論文は感染予防に関してBCGワクチンの有効性には否定的な結論となりますが、上述のように重症化との関係はまだ何とも言えないことと、あくまで一部の年代に絞ったものであることに注意が必要です。

 

JAMAのページのコメント欄に寄せられた意見として、BCGワクチンをうって何十年と経った人ではなく(免疫が落ちている可能性がある)、うってもっと早期の人でないと有効性について論じることができない、とされています。

 

しかしそもそも有効性があるかも、という仮説がBCG接種国とそうでない国の比較から出てきたものなので、「接種直後に免疫がある」という理論が成り立つなら、接種国の若年者で感染率が明らかに低いという現象と非接種国ではそうではないという現象が見られるべきだと思うのですが…。

 

少なくともBCGだけで現状を楽観的にみられるものではなさそうです。

日本の教育に対する著者のため息が聞こえてくる「学力の経済学」

育児関連の本をまた読んでみたので紹介します。

 

5年前の本にはなりますがこの本もエビデンス重視されており、説得力をもって参考になりました。

 

「学力」の経済学

「学力」の経済学

  • 作者:中室 牧子
  • 発売日: 2015/06/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

著者は「教育経済学」を専門とする方であり、教育に関係する経済的なコストや効果を科学的な根拠をもって示しているのがこの本です。

 

ご褒美で釣っても良いのか?

ほめて育てるのは良いのか?

ゲームをすると暴力的になるのか?

 

こういったよく問題となる疑問にも科学的に結論を導き出しています。

 

前回紹介した育児本と同様に、どうしてもエビデンスにこだわりたくなるタチなので、そういう自分には参考になりました。

 

褒美やほめ方はやり方次第

導入部分において、先ほどの3つの質問の著者の解答としては

「ご褒美はOK、ほめるのはダメ、ゲームはさせても良い」

と書いてありますが、厳密にはほめるのはダメというより、やり方の問題のようです。

 

前回紹介した本と同様に、プロセスをほめることが必要で、結果のみをほめたり、褒美を出して求めることはダメということです。

medibook.hatenablog.com

そういったやり方では結果もついてこなくなってしまう、というのが研究結果からの解釈です。

 

子どもの教育にお金をかけるのは、いつが一番良いのか?

またもう一つ疑問として興味深いのは、子どもの教育にお金をかけるときに、かけた金額と返ってくる結果(収益率)が最もよいのは

いつか、という疑問。

 

この本の結論としては幼児教育に最もお金をかけるのが良い、ということのようです。

 

その根拠として出されている研究で興味深いのはペリー幼稚園プログラムというものです。

 

1960年代に開始され、その後も結果をフォローされている研究でシカゴ大学のヘックマン教授を中心に行われています。

 

実験の内容としては、低所得のアフリカ系アメリカ人の3~4歳児に対して、「質の高い就学前教育」を施した群(58人)とそうでない群(65人)をランダムにわけ、その後の経過をフォローし続けるというもの。

 

めちゃくちゃ気の長い話です。

 

医学研究でいうランダム化比較試験にあたります。

 

ちなみにその質の高い教育というのは

・幼稚園の先生は児童心理学専門家に限定する

・子ども6人に先生1人の少人数制

・午前中に2.5時間、読み書きや歌のレッスンを週5日間、2年間

・週に1回、1.5時間の家庭訪問

とかなりの力の入れっぷりです。

 

その子どもたちを40年以上フォローし続けたわけです。すると、結果として介入した群では

 

6歳時点でのIQ→高い (ただし、あとで差はなくなった)

19歳時点での高校卒業率→高い

27歳時点での持ち家率→高い

40歳時点での所得→高い

40歳時点での逮捕率→低い

 

という結果となりました。それぞれの条件を満たす割合に各群で差が出たようです。

どれぐらいの差が出たのか具体的な数値については"Lifetime effects: The High/Scope Perry Preschool Study through age 40."でググると元の論文のサマリーみたいなのが読めます。

 

余談ですがこの本に書いてある棒グラフは横軸が0-1%となっており、0-100%の誤植と思われます。

(そもそも各群の参加人数が100名いないので1%以下はあり得ない)

 

この結果をどう解釈するか、ですが対象がアフリカ系アメリカ人低所得者層ということで

日本の幼児教育でも同様のことをすればよいのかどうかは不明ですし結果として出た各指標が本当に本人の幸福に結びついているかは疑問ではあります。

 

国の立場から考えれば所得が高いことや逮捕率が低いことは有用だと思いますが、子どもの幸せを一番に考える親の場合は当てはまるのかどうかわかりません。

 

ただ結果として間違いないく面白いのは

「就学前のわずか2年の教育が40歳になっても影響を及ぼしている」ということでしょう。

 

ここまでの影響が及ぶのであれば幼児教育が最も収益率が高い、という考えも多少なりとも納得できるように思います。

 

後半は著者のため息が聞こえてくる

こうしたランダム化試験などの統計的な意味合いを持った教育研究は基本的にアメリカのものがほとんどで、日本のものが少なく、また日本の教育政策もこういった科学的な根拠に則っていないことに著者がため息をついています。

 

後半の教育政策についての話では、その辺りの厳しさが出ていますがそうなる気持ちも最もかなと思います。

 

既に我が家の第1子も2歳を過ぎ、徐々に成長していますが、どうしても割ける時間も限られているので自分がいるときはもちろんのこと、いないときの過ごし方も考えていかないといけないな、と思わせる一冊でした。

アダム・スミスの「道徳感情論」②

前回までの記事はこちら

アダム・スミスはいつ生まれてどんな人だったか? - 脳内ライブラリアン

アダム・スミスの「道徳感情論」① - 脳内ライブラリアン

 

今回の記事では道徳感情論の話と

これが見えざる手と何の関連してくるの?という話を書きます。

 

前回の記事では

人あるいは自分の行為や感情を評価するのに

社会経験からつくられた「胸中の公平な観察者」の視点を使っている

ということを述べました。

 

ただこの「胸中の公平な観察者」と「世間」の評価に

ずれが生じることがあります。これが不規則性という概念です。

 

不規則性の問題

アダム・スミスの言う不規則性は以下のようなケースで生じます。

①「意図はないにも関わらず他人に有益もしくは有害な結果を生み出した」

②「ある行為によって、たまたま意図した通りの結果とならなかった」

 

前回の注意しているにも関わらず自動車事故を起こしてしまったひとは

①に当てはまりますね。

 

ここで重要なのは「胸中の公平な観察者」は意図を評価すること。

それに対して「世間」は結果を重視する傾向があること。

 

②の例も世の中に多々ありますが、例えば

大学受験をする教え子を家庭教師でみていた、とするときに

自分は当然合格させようと思って指導するわけですが

受かることもあれば落ちることもあります。

 

「世間(教え子の親など)」の評価はどちらが良いでしょうか。

 

当然受かったときのほうが良いでしょう。

こうした不規則性による評価のずれを行為者(評価される人)は

どうとらえるか。

 

賢人と弱い人

アダム・スミスは行為者が「賢人」か「弱い人」かによって

重視する評価が異なるとしています。

 

賢人は胸中の公平な観察者(=意図)を重視し

弱い人は世間の評価(=結果)を重視します。

 

これは人によって二つに分かれるということではなく

その人の中でもそれぞれ「賢人」の部分と「弱い人」の部分がある

としています。

 

また、これは賢人が全て良いというわけでもありません。

意図のみを重視すれば、何か悪意あることを

意図しただけで罰せられることになりますし

結果を罰しないようであれば過失が許されてしまい

注意を払うことが不足します。

 

ただ賢人であることも当然必要です。

アダム・スミスは胸中の公平な観察者を通して判断することを

「一般的諸規則」と呼び、それに従おうとする感覚を「義務の感覚」として

人間生活において最大の重要性をもつ原理、としています。

 

それに従うことで得られるのは

いわゆる「良心の呵責」がない状況であり

心の平静と幸福感、満足感である、と考えられます。

 

で、結局見えざる手との関係は?

最初の記事で「見えざる手」は冷たい市場主義の話ではない、と

書きましたが結局この道徳感情論の話がどう関係してくるのか。

つなげていきます。

 

先ほど述べた「賢人」と「弱い人」の

どちらが経済を発展させるでしょうか。

 

アダム・スミスは「弱い人」がより経済を発展させると考えました。

 

「賢人」は一般的諸規則を優先するため世間の評価を必要以上に

気にする必要もなく、自身の満足が得られていれば幸福であるため

野心をもって富を拡大させようとする必要がないんですね。

 

それに対して「弱い人」は富や地位を求める野心があるため

結果として仕事を拡大し、人を雇い入れ、経済を発展させていきます。

 

これは分業に関して述べた「国富論」の箇所をみてもわかると思います。

われわれが食事ができると思うのは、肉屋や酒屋やパン屋の慈悲心に期待するからではなく、彼ら自身の利益に対する彼らの関心に期待するからである。われわれが呼びかけるのは、彼らの人間愛に対してではなく、自愛心に対してであり、われわれが彼らに語りかけるのは、われわれ自身の必要についてではなく、彼らの利益についてである。(「国富論」一編二章)

 

この「弱い人」が進む道を「富への道」と呼び

「賢人」が一般的諸規則を身に着け

称賛される道を「徳への道」と言いましたが

アダム・スミスは2つが両立しうることを示しています。

 

特に下流中流階級においてはこの2つの方向性が一致しやすいと述べました。

この階級の人は財産を築いていく上で

周囲の人との関係を良好に保つ必要がありますし

そのためには一般的諸規則に従うことは必要になってくるからです。

 

逆に上流階級(当時でいうと王侯・貴族)は

徳への道がなくても権力である程度周囲を黙らせることができるため

富への道のみを歩む堕落がみられるとしています。

 

 

上述の通り「弱い人」が市場で「見えざる手」に従い

競争をすることで、より良いサービスや製品を安価にできるようにし

経済を発展させます。

 

ただし、ここには「徳への道=賢人」が両立する必要があり

競争相手を邪魔したり、だましたり、市場を独占したりすることは

フェアプレイの精神に反しており正しい方向への発展が望めない、としています。

 

つまり「見えざる手」の機能も発展には重要ですが

全てその自動作用に任せればよいのではなく

その前提条件として「賢人」としての一般的諸規則や義務の感覚を

備えてなくてはならないと考えられます。

 

現在でもよく引用されるアダム・スミス

今でも様々な本で引用されるアダム・スミスですが

そこで人間の本質とされる「共感能力」や「幸福感の定義」は

現代でも通じる、というか現代の科学でむしろ証明されつつあると思います。

 

たまたま別の本を読んでいたときに紹介で出てきた

経済産業研究所の論文ですが、日本人の所得と幸福感の関係について

一定の所得以上からは幸福感がさほど増えないことを示しています。

(同様の研究は色々ニュースなどで見たことある気がしますが)

RIETI - 幸福感と自己決定―日本における実証研究

 

アダム・スミスは先ほどの理論の中で

「弱い人」が目指す「富への道」は幸福につながるものではなく

一定以上の所得があれば、それ以上稼ぐことで

幸福を求めようとしても求められない、ということを述べています。

これがデータ的にも実証されたということになります。

論文中にもアダム・スミスの文が引用されています。

 

こういったところでつながりを見出せることが

過去の哲学を学ぶことの面白さだなと感じつつ

また次は誰かに焦点をあてて読んでみようと思います。

 

参考文献:

 

アダム・スミスの「道徳感情論」①

引き続きアダム・スミスについて学んだことを。

 

前回記事はこちら

アダム・スミスはいつ生まれてどんな人だったか? - 脳内ライブラリアン

 

前回では社会的背景とアダム・スミスの生涯について簡単に書きました。

 

以前書いた通り“見えざる手”という言葉が市場主義のキーワードとして

使われている印象ですが、実際その前提には「道徳に基づいた秩序」があります。

そのためアダム・スミスの考え方はいわゆるマネーゲームや格差の拡大を

容認するものでは決してなく、現代の経済のあり方・社会のあり方にも

十二分に参考になるところがあると思います。

 

今回は道徳感情論の内容に触れていきます。

 

道徳感情論」の目的

アダム・スミスが道徳哲学の教授時代に書いたのが

道徳感情論」です。

 

この本の主たるメッセージは

「社会秩序をつくる人間の本性は何か」ということ。

 

どのような本性から社会が成り立っているかを知ることは

逆に一定の秩序を保つために、何を大切にすべきかということに繋がります。

 

国富論」は”見えざる手”で有名なように自由市場を優先する

イメージが強く、最低限の秩序、フェアプレイ精神を

守ったうえで行われるべき、という背景が抜けてしまいがちです。

 

そこを知るためにも「道徳感情論」の論理の流れが役に立ちます。

 

「同感」の能力

アダム・スミスは人間の「同感」の能力が秩序を形成する大本と考えました。

誰かが喜んでいたり、怒っていたり、悲しんでいたり

そういったときに人は相手の気持ちを想像し、同じ感情をもつことができます。

 

面白いことに近年になってミラーニューロンといった相手を模倣するメカニズムが

体の中に備わっていることが科学的に明らかになったわけですが

これをすでに200年以上前にメカニズムはどうあれ、見抜いていたわけです。

今回主に参考にした「『道徳感情論』と『国富論』の世界」の

あとがきにも同様の指摘がされていました。

 

この同感(共感と言い換えてもいいと思いますが)の

能力を用いて人はある人の行為・感情を「観察」します。

図にするとこんな感じです。

f:id:medibook:20200509210859p:plain

(『道徳感情論』と『国富論』の世界  図1-1より引用)

 

また自分の行為・感情も他人から観察されます。

 

f:id:medibook:20200509210757p:plain

(『道徳感情論』と『国富論』の世界  図1-2より引用) 

 

ここで、その行為・感情を相手の立場に立って

考えてみたときに妥当だと思えば「是認」、異なると思えば「否認」します。

是認であれば観察者、当事者ともに快の感情が得られますし

否認であれば観察者、当事者ともに不快の感情が得られます。

 

例えば、身内が亡くなって悲しんでいる人がいた、とするときに

「悲しいんだろうなあ」とその思いを妥当と考え

その気持ちを当事者に伝えることで、共感により少し気持ちが和らぎます。

 

逆に「なんで悲しんでるの?元気出したら」なんていう人はいませんが

そんなことしたら確実に不快です。

言っている側も、もし本気でそういっているのだとしたら

不快なのでしょう。

 

こうした経験を繰り返すうちに

全ての人が是認する行為や感情というものがない、ということに気づきます。

 

そこで、他人のみの判断では

すべての人を納得させる行為や感情はないため

そうした一方的な判断から身を守るために

「自分と特別な関係をもたない公平な観察者」を自分の頭の中に想定し

その基準において是認されることを考えるようになります。

これが「胸中の公平な観察者」という概念です。

 

「胸中の公平な観察者」

これは自分が所属する社会において

経験を積み重ねることによって作り出されていく、とされています。

 

ただこの「胸中の公平な観察者」と世間一般の評価に

ずれが生じることがあります。

例えば自分としては決して何かミスをしたわけではないのに

罰せられてしまった場合。

きちんとルールを守ったにも関わらず事故で人を傷つけてしまった場合は

もっとずさんなことをしても事故がなかった人と違って

どうしても罰せられる場合はあります。

 

例えば交通事故を起こしてしまったときに

寝不足もなくしっかりと運転していても起こしてしまうときはあり得ますが

普段からスマホみながら運転しているような人が罰せられていないにも

関わらず、そうした過失は「世間」から罰せられてしまう。

これは「胸中の公平な観察者」によれば、誰もみていなかったとしても

スマホを普段からみながら運転する、というのは明らかに誤っています。

 

これが「胸中の公平な観察者」と「世間」とのずれです。

この不規則性と呼ばれる点についてはまた次回にします。

 

参考文献はこちらです。

道徳感情論 (日経BPクラシックス)

道徳感情論 (日経BPクラシックス)

 

 

 

大人が身につけることが難しい「モンテッソーリ教育・レッジョ・エミリア教育を知り尽勇気くしたオックスフォード児童発達学博士が語る自分でできる子に育つほめ方叱り方」

我が家に第二子も生まれた、ということで

育児書熱がまた上がってきまして、こちらを読んでみました。

 

先月出たばかりの本ですね。

 

もともと第一子のときも子育て本をいくつか買ってみたのですが

あんまりいいものがなかったです。

 

というのも、仕事柄かもしれませんが

どうしてもエビデンスだったり、論理的な理由付けがないと

イマイチ納得できないところがあり

育児の分野でぱっと目に付くものに

そういったものはあまり多くないんですよね。

読みやすさが重視されているから、ということや

育児自体が中々科学的に検証しにくいことだからかもしれません。

 

また、当時アドラー心理学の本を結構読んでいたので

アドラー式の子育て、みたいな本をいくつか買いましたが

どれも「これは本当にアドラーか??」というような

きわめて私見に近い内容のものも多く

繰り返し読むようなものがあまりありませんでした。

 

そこで今回読んだこの本ですが

きちんと参考文献を伴って根拠がそれなりに挙げられており

かつ、具体的なアドバイスも多数ある

ということで非常に良かったです。

 

読み終わってからタイトルを再度みて気づきましたが

モンテッソーリ教育・レッジョエミリア教育」の本ではなく

それを知り尽くしたオックスフォード大学の博士が

「根拠に基づいた良い育児」を説明する本でした。

なのでそれぞれの教育法については概説のみで細かく語られません。

教育方法で調べるとやたら出てくるモンテッソーリ教育については

また別の本も読もうと思います。

 

全体の印象としては

アドラー心理学マインドセットアサーションスキル

を活かしたものだったと思います。

順番に紹介します。 

 

賞罰教育の否定

この本で述べられている大切なことは

「こどもを一人の人間としてみること」

 

それをするためには

成果・能力・性格をほめる(賞)やそれらを叱る(罰)で

子どもをコントロールをしようとするのは避けるべきとしています。

 

上記のやり方は短期的には効果があるかもしれませんが

長期的な視点ではこどもに悪影響が出ます。

 

褒め方にポイントがあり

・成果ではなくプロセス

・具体的にほめる

・どう感じたのかを質問する

といったやり方が有用であるとしています。

 

このほめ方を間違うと

・「ほめられ依存症」になる

・興味を失う

・チャレンジ精神が低下する

・モチベーションが低下する

などのデメリットが起きます。

 

また罰についてはさらに難しく

・「ダメ!」「違う!」をできるだけ使わない

・結果ではなく努力やプロセスに目を向ける

・好ましくない行動の理由を説明する

・親の気持ちを正直に伝える

の4つがポイントとされます。

 

こちらも罰を与えるという間違ったやり方をすると

・より攻撃的、反発的な態度を生み出す

・力を使った問題解決方法が正当化される

・親子関係にヒビが入る

・罰を与えても反省を促さない

といったデメリットが生じます。

 

ここまでみてきて、ほめる場合・しかる場合とともに重視されるのは

「子どもと対等な関係を築くこと」

「評価よりも具体性をもって表現する」

「成果よりプロセスを重視する」

ということですが、対等な関係/評価しない/賞罰教育の否定というと

やっぱりアドラー心理学を思い出さずにはいられません。

 

ベストセラーとなった「嫌われる勇気」にも

「叱ってはいけない、ほめてはいけない(p.145)」

「ほめるという行為には『能力のある人が、能力のない人に下す評価』

という側面が含まれています(p.147)」

「われわれが他者をほめたり叱ったりするのは

『アメを使うか、ムチを使うか』

の違いでしかなく、背後にある目的は操作です。(p.147)」

 とあります。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

子どもの自立性を育てることを考えたときに

コントロールしようとするのは明らかに逆効果です。

ここにアドラー的な考え方が含まれているのが分かります。

 

そもそもアドラー児童相談所を作りカウンセリングなども

行っていたことから子どもの健康な精神的成長についても

理解が深かったと思われ、子どもの教育に当てはまることもうなずけます。

 

しなやかなマインドセット を身に着ける

もうひとつこの本と関わりが深いのは

p.39で引用されているキャロル・S・ドゥエック博士の研究です。

先ほどのほめ方叱り方で「成果ではなくプロセスを重視する」という点は

この研究がよく表しています。

 

これは128人の小学5年生を3つのグループにわけ

IQテストを受けてもらう実験です。

詳細は本をみて頂きたいのですが、グループごとに

①能力をほめる

②努力をほめる

③具体的には何も触れずおざなりにほめる

とほめ方を変えて、その後テストを再検したところ

②の生徒がもっとも成績が向上した、というものです。

 

この実験をしているドゥエック博士はスタンフォード大学の心理学教授で

自分が努力をすれば成長できるということを信じる

「しなやかなマインドセットが能力の向上に重要と考えています。

逆に性格や能力は変わらないと考えてしまい

人からの評価を得て自分の能力を証明しようとする

「硬直したマインドセット」の人は能力が伸びにくいということを

数々のデータをもって示しています。

 

マインドセット「やればできる! 」の研究

マインドセット「やればできる! 」の研究

 

この本の中でも子どもの教育について、触れている章があります。

子どもだけでなく自分自身にも大変役立つのでお勧めです。

 

この良いマインドセットを身に着けることこそ

子どもの成長にポジティブな影響を与えることでしょう。

これもまた褒め方の根拠となります。

 

アサーティブコミュニケーション

もう一つテクニックとして使われているのは

「こういうことするのはダメ!」というのはなくて

「”私”がこういう気持ちになって困るからこうしないでほしい」

という、相手を責めずに自分を主体としたメッセージを送る

”アサーティブコミュニケーション”というスキルです。

 

相手に選択をゆだねる形になるため強要するわけではなく

相手を否定しない、かつ自分の気持ちも伝えることができる

関係性を良好に保つ優れたコミュニケーション手段です。

どんな時でもこの伝え方をすればいいとは思いませんが 

これもテクニックのひとつとして役に立ちます。

 

言うは易し行うは難し

言われると納得するのですが

育児されている方なら実際やることはかなり難しいのは分かると思います。

 

家事をしながら子どもが家の中でむちゃくちゃしているのを見ると

「ダメでしょ、そんなことしたら」とパッと言ってしまったり

遊んでいて何かを見てほしそうなときに

「おーすごいね(適当)」となってしまったりするときは多々あります。

 

ここまで書いてきた内容を考えると

アドラーにせよ、マインドセットにせよ、アサーションにせよ

大人どうしのコミュニケーションでも身につけることが難しい技術です。

 

アドラーに至っては「嫌われる勇気」の中でも

「本当に身に着けるには今まで生きてきた年数の半分を要する」

としています。

 

まず自分がその技術を身に着けるところから始まります。

子どもにやろうとしても難しいのは当然で、完璧にできるはずもなく

意識し続けることが大切だと思いました。

 

また、大人同士のコミュニケーションと違って

育児の場合に知識として必要なのは

子どもが発達の過程でどこまでのことができるか、ということです。

 

この本は3~12歳を対象としています、と明記されています。

当然1,2歳の子どもはそもそもコミュニケーションもしっかりとれないので

除外されると思います。

子どもがどこまで理解して我慢したり、協力したりできるかは

年齢によって大きく異なります。

 

本の終わりに発達過程の目安が書いてあります。

ここについては知識としてどこまでのことができるのか、を

押さえておかなければ子どもに無理な要求をすることになりかねません。

この辺りはもう少し知識をつけたいところです。

また追加で本を読んでぜひ書いてみたいです。

SARS-CoV-2のPCRと抗体検査について

JAMAの論文で新型コロナウイルスPCRと抗体検査の

検査精度を簡単にまとめた論文がみやすかったので紹介します。

 

Interpreting Diagnostic Tests for SARS-CoV-2-JAMA

 

PCRと抗体検査の性能は?

 

よく見たら横浜市立大学微生物学の先生が書かれていますね。

figureが分かりやすくて、国内ではできませんがPCR検査の他に

IgM抗体、IgG抗体がいつごろから陽性になって推移していくかが

書かれています。

 

ここで興味深かったのは2ページ目の最初の段落で

PCR単体での感度は51.9%だったが、IgM抗体と組み合わせることで

感度が98.6%まで上昇した、との記載。

 

元の論文を辿るとこちらでした。

Profiling Early Humoral Response to Diagnose Novel Coronavirus Disease (COVID-19) | Clinical Infectious Diseases | Oxford Academic

 

武漢で得られたCOVID-19の確定例82名(PCR陽性)+疑い例58名(PCR陰性) 

血漿208サンプル(取られた日にちがそれぞれ異なり発症後1-25日まで)

を使用し、PCRの他IgG, IgA, IgMを検査したというものです。

 

ちなみにIgGやIgMとは免疫グロブリンと呼ばれる

感染後に体内で作り出される免疫の役割のあるたんぱく質の種類で

他の細菌やウイルスでも、それぞれ特異的に上昇するので

EBウイルスサイトメガロウイルスといったウイルス感染の

診断に使われています。

IgMの方が先に上がるがその後早期に低下し、IgGは長期にわたって

残る場合があります。

 

組み合わせて感度98.6%というのは先ほどの

発症後日数がばらばらな血漿サンプルに対して使用した結果ということですが

めちゃくちゃ優秀な数値です。

感度・特異度95%程度と見積もって考えると陰性尤度比も0.05となり

検査することで否定にも有用となります。

ただ、これは仮定の話で論文では発症者に対しての結果のみ記載されており

特異度は出ていません。

また実際の検査では発症後の日にちがそこまでばらつきがあるのか

あるいはもっと発症直後が多いのかというあたりも異なると思うので

対象者によって数値は異なるとは思います。

(感度・特異度と尤度比については同日記事に書いてみました)

medibook.hatenablog.com

なぜこうなるかというとPCRは先に出した論文のfigureで

水色の線(nasopharyngeal swab PCR)をみてもわかりますが

発症後時間が経つにつれて、検出できる確率が下がっていきます。

 

それに対してIgMはピークがやや遅いので

PCRでは陰性になるタイミングを補完する形となるわけです。

 

後半の論文では発症後5.5日を過ぎたあたりからPCRIgM抗体の

検出率が逆転するとされています。

 

 

ただ、これがどう役立てられるかというと難しいところで

IgM抗体もおそらくすぐに出すことは難しいと思います。

今実際にやられている他のウイルスに対するIgM抗体の検査でも

4-5日はかかっているので時間がかかります。

来てもらって検査したところで4-5日では隔離期間が長く

その間どこでどうしていてもらうのかが問題になります。

うまい使い方があれば良さそうですが、、、。

 

  最近のPCR検査事情について

話はずれますが

大阪がPCR検査での陽性率を

経済活動再開の独自基準の一つに組み込んでいる、ということで

陽性率に関しての話題が徐々に増えている気がします。

 

4/17と少し前の記事になりますが、山中伸弥先生がHPの中で

アメリカのPCR検査数増加の必要性を書いたNY timesの記事を

引用されていました。

Coronavirus Testing Needs to Triple Before the U.S. Can Reopen, Experts Say - The New York Times

 

感度が低いとはいえ、検査数がある程度ないと、実態が把握できない

という理論が背景にあるようです。

 

流行地域かどうかにも依ってくると思うのですが

現場としては悩みどころもあります。

検査数を増やす、ということをどう行うのか。

 

単純に受診する人を増やすという意味であれば

うまく医療機関キャパシティーを考えてコントロールしないと

大規模な院内感染が続発する事態になりかねません。

 

実際今でも発熱の患者さんは本人、家族ともに心配され

コロナの可能性はないですか、検査できませんか?と口々に聞かれます。

入院だろうが外来通院だろうが不安はもっともで

安心を得たい、という心理はその通りだと思います。

もちろんこちらとしても感染者院内や外で広げたくない

不安と責任はとても強いです。

 

画像検査、採血も行って明らかに非典型の所見しか揃わない場合

あるいはもちろん他の疾患の診断が明確な場合は

さすがに検査は不要じゃないか、と答えます。

 

昨日から”受診の目安”が改定され

より軽い症状でも相談センターへ電話を、ということになっています。

mainichi.jp

”発熱4日以上”という条件は厳しすぎるにせよ

今の条件は結構すぐに相談が来そうです。

保健所が心配ですし、どこまでを病院に送るのかも

心配があります。

 

今後段階的に経済活動を再開していくには

感染の動向を見極める必要性が高くなると思われますが

PCR検査や受診者を増やして何とかしていこう、という方向は

かえって現場の混乱を生む可能性があり

よりより手段がないか願うばかりです。

 

あと個人的にわからないのは

PCR検査の陽性率が重視されるのはどういった根拠なんでしょう。

大阪府の独自基準について

記事にはエビデンスがあるわけではない、とありますが

多少何らかの根拠はあるのではないでしょうか・・・。

www.tokyo-np.co.jp

どなたか根拠をご存知でしたら教えていただきたいです。

 

行われたPCR検査の陽性率から割り出すことができるのは

「コロナ疑いとして検査基準に当てはまる人の有病率」であって

「健常者含めたすべての人の有病率」にはならないと思うのですが

それでも役に立つという前提なのでしょうか。

 

今後の方針とその根拠がどうなのか、気にかかります。

検査による確率変動の算出方法 -尤度比と検査前後確率/オッズについて-

医師が診断をするときにどのように

その病気らしい/らしくない、を判断していくのか。

具体的な確率で数値化することは情報が揃っていればできます。

 

ただ診断をつけるときにその疾患である確率を

実際の診療で細かく計算したり、イメージすることはないのですが

症例報告を書いていくうえで、厳密に詰めないといけないなと

感じて、個人的にまとめたかったので書きます。

 

医師が診察してある病気を疑い、診断をつけるイメージとしては

基本的にはその病気である事前確率

(年齢や性別、疾患の発症率・有病率からある程度推測)

に対して問診や診察、検査で

よりその疾患らしい所見があれば、確率が上昇し

否定的な所見があれば確率が低下します。

 

ほぼ問診だけで確定できる疾患や

検査だけで確定される疾患もありますが

基本的にはどれも組み合わせて詰めていく必要があります。

 

そこで、どの程度検査(問診や診察も含む)前後で確率が変動するのかを

イメージだけでなく正確に算出する方法があります。

 

それが確率をオッズに変換していく方法です。

 

事前知識として感度・特異度・陽性尤度比・陰性尤度比については

ここで非常に簡易にまとめてあるので参考にします。

1-1. 検査精度 | 統計学の時間 | 統計WEB

 

検査前確率をオッズにする

まず検査前確率を想定します。

これは正直正確には算出できないことが多いので

あくまでイメージするしかないです。

 

この検査前確率を検査前オッズに変換します。

オッズというのはある事象が起きる確率をpとしたとき

\frac{p}{1-p}です。

よって

検査前オッズ=\frac{検査前確率}{1-検査前確率}

となります。

 

検査前オッズに尤度比をかける

次に検査前オッズに尤度比を掛けます。

検査が陽性であれば陽性尤度比、 陰性であれば陰性尤度比を掛けます。

多くは検査の研究によって出されていることがあります。

 

数値の目安として陽性尤度比は5~10ならまずまず、10以上はかなり有用

陰性尤度比は0.1~0.5ならまずまず、0.1以下はかなり有用と言えます。

 

ちなみにコロナウイルスPCR検査を

感度60%, 特異度95%と想定して計算すると

陽性尤度比12, 陰性尤度比0.42と陰性の場合は微妙なことが分かります。

 

この尤度比をオッズに掛けることで

検査後オッズが出ます。

検査前オッズ×尤度比=検査後オッズ

 

検査後オッズを検査後確率に戻す

最後は最初と逆にオッズを確率に変換します。

検査後オッズ=\frac{検査後確率}{1-検査後確率}

式を変形して

検査後確率=\frac{検査後オッズ}{1+検査後オッズ}

となり計算ができます。

 

参考文献:考える技術-臨床的思考を分析する