認知症の診断から運転免許証の停止の流れについて思うこと
先日、第39回日本認知症学会学術集会がありました。
会場には行かず、オンデマンド配信を利用して動画を見まくっているんですけども、これ便利ですよね。正直学会に行っても、あんまり発表を長い間聞く集中力がないタイプなので(気付いたら意識を失っている)、こういう形で好きなときに、好きな時間だけ講演を聞けることはありがたい限りです。なかなか学術集会に足を運べない子持ちの医師にも向いているんじゃないでしょうか。
その中で認知症と自動車運転というシンポジウムがあって、聞いてみたのですが、今の「認知症と診断→免許停止」という際の流れって不満があるなあ、と認知症を診断する側の医師として思ったので、書いてみます。
半分くらい仕事の愚痴に近いかもしれませんが(汗
認知症となるとどのように免許が停止となるか
そもそもどのような流れで認知症の人が免許停止となるのか。まず免許更新時もしくは一定の交通違反を起こした際に75歳以上の方は認知機能検査を受けてもらう形になります。警察庁や道路交通法改正時の案内はこちら↓。
3月12日スタート、改正道路交通法の主なポイント(その2) 運転免許を持つ75歳以上の方へ。 認知機能の状況に応じ診断や講習の機会が増えます。 | 暮らしに役立つ情報 | 政府広報オンライン
この認知機能検査は臨床現場で使うものとは少し別のものになります。ここで、引っ掛かると、免許の更新には病院の診断書が必要となるわけですね。そのため、引っ掛かった人は神経内科などの認知症を普段みている科に受診に来ます。ここで認知症と診断された場合、免許は停止となるわけです。
医師の診断で免許が停止になる流れについての問題
要するに医師の診断に最終的な判断が委ねられているわけですが、臨床の現場にいる一個人としては困ることが多いです。正直もう少し流れを変えて欲しいと日々思っています。主な理由としては三つあります。
理由1: 認知症は連続的に変化する疾患である
道路交通法で運転ができなくなる疾患は他にも、「てんかん」「脳卒中」などあるわけですが、この辺りの疾患は「発症した人」と「そうでない人」が明確なんですね。あるタイミング(てんかんであれば発作を起こし始めた時、脳卒中なら血管が詰まった時)から、その病気が発症したと線引きができるので、診断も比較的はっきりしています。てんかんは先行して何らか脳に素因がある場合や診断が難しい場合もありますが、認知症よりはまだはっきりしています。
これに対して、認知症は連続的に変化をしていく変性疾患です。脳の変化は症状が表面化してくるもっと前から起きており、どこのタイミングを発症とするか難しいところです。つまり、認知機能が落ち始めているな、と思っても、正常との境界に近い例では何とも言い難いのです。
もちろん明らかに認知機能がすごく落ちている例であれば、診断ということは容易ですが、それまで運転をしていたような人というのは境界例であることも多いです。
理由2:診断では運転の能力をみることができない
さまざまな診断基準に含まれる定義にも大抵の場合、「日常生活・社会生活に支障をきたすこと」が診断基準に入っています。つまり、その人の生活の状態によって認知症かどうかというのは変わってくるわけです。
例えば、代表的な診断基準であるDSMー5には以下のように記載されています。
(日本神経学会 認知症疾患診療ガイドライン2017より引用)
Bには「毎日の活動において、認知欠損が自立を阻害する」とあります。
つまり定義のみに則れば
「認知症だから、生活がうまくできない」
のではなく
「生活がうまくできないから、認知症」
という診断になっているわけです。
そうすると、運転ができるかどうかというのも生活の機能の一部になってきますが、診断基準が上記のようである以上、「認知症と診断できたら運転ができないかどうか分かる」わけではないんです。
認知症の診察において、もちろん記憶や注意機能、計算、書字、動作の異常などある程度は診察の場でみることはできますが、「運転」というかなり複合的な行為について評価は正直できません。
そもそも認知症の人が運転してはいけない理由というのは、「事故を起こしやすいから」というものであるはずなので、それならば診察の場での記憶力や計算能力なんかよりも、一番大切な運転能力の評価を免許試験場などですべきではないでしょうか。
理由3:免許を止めることが高齢者と交通事故にとって、「どの程度まで」有益となっているかが分かりにくい
理由1でも書いた通り、明らかに認知機能がすごく悪い人に禁止を命じるのは、事故の防止に効果があると思いますが、境界例の人にそれを命じることは果たして自分がやっていることが本当にその人の生活や事故の防止という面で有益なのかが自信はもてません。
都市部はいいんですけれども、車社会の郊外などでは通院や買い物に車が必須ということも多いです。バスを乗り継いで大変な時間をかけて、挙句病院で長時間待たされながらも通院するような生活は正直推奨し難いところがあります。また、移動できなくなることによって人との交流が減ってしまうことも心配です。
その辺の微妙な例に対する免許の停止が果たして良いのかどうか、データによるフィードバックもされないため、自分の判断を改善することもできません。
この点でさらに問題なのは、大抵の場合、こうした認知機能と免許の問題で受診に来るのが初診の患者さんばかりだということです。
家族背景や生活の状態、既存の疾患なんかも全く知らない人たちです。開業医さんからの紹介でいきなりやってきて、少しの診察をしただけで「もう車の運転はできません」と言わなければいけないわけです。
もちろん、それなりの覚悟をして準備をしている人であれば良いんです。他の家族と一緒に来て、「免許無しになっても色々移動を手伝うから大丈夫だよ」と声をかけてくれる家族なら問題はありません。ただ実際一人や夫婦で来られる方も多いんですね。そこで、準備をされていない方であると結構もめます。稀ですが、キレる方もいます。
ただでさえ外来の時間もあまりない中で、言い争いや沈黙の時間が流れていくのはきついものがあります。地域包括支援センターへ相談をお願いしたりもしますが、こうなってから相談するより、あらかじめ準備する方が遥かに楽でしょう。
今後改善を期待したい点
認知症が連続的に変化する病気である点は変わりようもないので、せめてシンポジウムでも言われていたように、運転シミュレーション検査など、より実際の状況に則した形での評価をお願いしたいです。診察ではみることができないので、、、。
また、免許停止となる可能性について十分に感じておられない高齢者のドライバーの方がまだまだ多くいます。免許試験場で引っかかった時点で、車がどこまで必要な生活なのか、状況に応じて早期に周囲に相談することを推奨いただきたいと想います。
そして、開業医の先生は、かかりつけでない患者さんは仕方ないですが、「免許更新の認知機能検査で引っかかったようです。お願いします。」だけの内容ではなくて、生活背景などわかる範囲で書いていただけると助かります。
運転している高齢者の方もしくは高齢の家族を持つ方へ
75歳以上となると免許の停止となることも多いです。都市部なら良いと思いますが、車社会の地域にお住みのようであれば、数年前から徐々に「運転できなくなったら生活をどうするか」と早めに考えていただきたいと思います。
認知症かどうか、ということは上に書いたように極めて線引きのしづらい概念なので、生活は大丈夫そうに見えても、免許がなくなる可能性は十分にあります。急な変化で困ることがないように早めに生活の環境調整を考えてみていただきたいです。