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イマヌエル・カントの思想④

前回までの記事はこちら

イマヌエル・カントの思想① - 脳内ライブラリアン

イマヌエル・カントの思想② - 脳内ライブラリアン

イマヌエル・カントの思想③ - 脳内ライブラリアン

 

具体的な事例を通じて定言命法についてみてみようと思います。

 

尊敬の念を抱かざるを得ない行動

カントとは関係のない本ですが「ずる 嘘とごまかしの行動経済学」を読んでいたときに出てきたエピソードが、「これはカントのいう定言命法じゃないか」と思ったので、引用してみます。

 

 映画「バガー・ヴァンスの伝説」にこんなシーンがある。マット・デイモン演じる伝説のゴルファー、ラナルフ・ジュナは、ゴルフの腕をとり戻そうと奮闘するが、大きなミスショットを打って、ボールを林に入れてしまった。ようやくボールをグリーンに戻し、ショットの邪魔にならないようにボールの周りの小枝をとり払おうとするうち、ボールがほんの少しだけ動いてしまう。ルールでは、ボールを動かすと一打罰が科される。だがルールを無視すれば、優勝してカムバックを果たし、かつての栄光をとり戻せるかもしれない。助手の少年は、ボールが動いたことには気づかなかったことにしようと、泣きながらジュナに訴える。「わざとやったわけじゃない」と助手は言う、「もともとつまんないルールじゃないか。それに、だれにもわからないよ」。ジュナは彼に向き直り、毅然として言い放つ。「いや、俺にはわかる。それにお前にもだ」
 ジュナの対戦相手までもが、ボールはふらついたが元の位置に戻ったとか、光の具合でボールが動いたように見えただけだと言ってかばってくれたが、ジュナはボールは転がったと言って譲らなかった。結局、試合は名誉ある引き分けに終わった。
 このシーンは、一九二五年の全米オープンで起きた実際のできごとをもとにしている。名ゴルファー、ボビー・ジョーンズは、ラフのなかでアドレスしたとき、ボールをほんの少しだけ動かしてしまったことに気づいた。だれも見なかったし、知るはずもなかった。それなのに彼は自分に一打罰を科し、結果として優勝を逃したのだ。この行ないが人々の知るところとなり、報道陣が殺到すると、彼は絶対に記事にしないでくれと言って、こう切り捨てたという。「そんなのは、銀行強盗しなかったからといってほめられるようなもんだ」。(ずる 嘘とごまかしの行動経済学 ダン・アリエリー著より引用)

 

 

要するにこの行動というのは「自分には全く得にならない」し、「隠すことも可能であり」「人も別にその行動をみて批判するわけでもない」。自分にとって利益はなく、むしろ損益のほうが大きいわけで、何らその行動をする理由はないわけです。

 

ただこのエピソードをみて人が思うのは尊敬の念です。「そんなことしなくていいんじゃない」という人もいるかもしれませんが、このゴルファーが「正しい」行動をしたことは分かります。これこそが善意志なのだと思います。

 

場合によっては人や自分の利益と善意志による行動が一致しているときもあるかもしれませんが、この例のようにそうでない場合には結構厳しいものになってきます。ただその分、定言命法の原則が「道徳の最高原理」とまで言われるものであることには納得ができます。

 

カント曰く、条件付けをした「仮言命法(~ならば~せよ)」に頼るのは、薬の作用を強めようとするあまりかえって毒になりうると指摘されています。よく例に出されるのは黄金律(他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ)ですが、これは仮言命法であり、カント的には仮の道徳に過ぎないとされています。なぜなら他人からしてもらいたいと思わなければ、人には何もする必要がない、とも読み替えられるからです。これが過ぎれば、何かしてくれそうな人にしか優しくしないような人間が出てきてもおかしくないというわけです。こうした条件によって、人に対しての行動が変わるのは損得計算であって真の道徳にはつながらないのは確かだと思います。

 

定言命法の原則

この定言命法にはどのようなものが含まれるのか、その原則が4つあるとされています。

 

まず一つ目。

「汝の意志の根本指針がつねに同時に普遍的立法の原理となるように行為せよ」(カント入門 p.126)

普遍的、というのは誰がみても矛盾が生じず当てはまること。前述のように定言命法

「条件付けを必要としない」ため条件によらず誰がみても同じ、である必要があります。

 

「汝の行為の根本指針が、汝の意志によってあたかも普遍的自然法則となるかのように行為せよ」(カント入門 p.126)

自然法則は誰でも従います。例えば重力の法則に従ってどの人も動物も落とせば自由運動をして落下します。道徳については前回記事で触れたように「現象界」ではなく「英知界」に根源を求めているため、現象界で認識される「自然法則」とはちょっと違うわけなので、「あたかも~なるかのように」とついていますが、自然法則同様にしろ、というわけですね。

 

「汝自身の人格にある人間性、およびあらゆる他者の人格にある人間性を、つねに同時に目的として使用し、けっして単に手段としてしようしないように行為せよ」(カント入門 p.127)

これは人間を、何かの目的のための道具(手段)としてはいけない、ということです。本文中の例でいえば、時計は時間を知るための道具なので、壊れて時間がわからなくなれば捨てられます。例えばレストランでお金を払って食事を作ってもらうというサービスを店員から受けたとき、道具としてのみ使ってはいけないわけです。サービスを受ける手段としても利用はしますが、きちんと挨拶をして、人として扱う。そういったことですね。

 

「意志が……自己自身を同時に普遍的に立法的と見なしうるような、そのような根本指針にのみしたがって行為せよ」 (カント入門 p.128)

前回記事の「自由」の定義にあったように、動機(行動の根源)を自分自身の中に見出すことが必要で、それをカントは「自律」と呼びました。それを求めている定式になります。

 

4つの定式に一致するものこそが定言命法であり、真の道徳に結びつくとカントは考えたようです。

 

功利主義に対する批判

さて、今まで述べてきたことを振り返って、なぜカントは個人の尊重や自由を重要視して、全体の利益を優先する功利主義に対して批判的であるかを考えてみます。

 

ここについては「これからの『正義』の話をしよう マイケル・サンデル著」が分かりやすく触れています。

 

カントは、ある時点での利害、必要性、欲望、選好といった経験的理由を道徳の基準にすべきではないと言う。こうした要因は変わりやすく、偶然に左右されるため、普遍的な道徳原理(普遍的人権など)の基準にはとうていなりえない。選好や欲望(たとえ幸せになりたいという)ものでもを道徳原理の基準にすると、道徳の本質を見誤るという根本的な問題もある。(これからの『正義』の話をしようより引用)

 

最も根本的な道徳の原理としては功利主義は不適当であるということです。功利主義的な考えでいくと、どうしてもその善とされる基準は経験的なものに留まり、仮言命法にならざるを得ません。そうなると、条件付けから離れた人は必ず存在するようになります。その人が救われないのは良いのか・・・?という疑問が避けられません。

 

実際よく倫理で問われる、トロリー問題を考えてみます。知らない方のために簡単に例を出してみます。(いろんなバージョンがあるのであくまで一例)

 

列車の先に3人の人がおり、線路の上に倒れています。あなたは列車の走行を変えるレバーを手にしています。何もしなければ3人の方へ列車は進み、人をはねてしまうでしょう。レバーを下すと列車は別の線路へ進みますが、その先にも1人の人が倒れています。さて、あなたはレバーを下しますか、下しませんか。

 

功利主義に則ればレバーを下すわけですが、実際我々はそれが確実に正しいとはしません。する人もいるかもしれませんが、少なくともすべての人ではないですね。ひとつのアイディアではありますが、根本的な道徳原理とは言い難いわけです。

 

もう一つ注意が必要なのは道徳の原理としてはカントのいう定言命法は重要ですが、これは別にみんなが幸せになるための方法ではないことです。最初の例のように自分にとって損になる行動も十分とりうるため、幸せとは切り離して考える必要があります。純粋に善いこと、自由とはどういうことかを考える面で役に立ちます。

 

雑感

あまりに奥深いので表層を一部さらっただけな気がしますが、またどこかで原著などから学びなおせたらいいな、とは思います。一つ一つの考えと用語は分かるのですが、いまいちその論理的な関係性は細かいところまでつかめていない印象です。根本的に「善い」とは何かを認識する方法としては非常に緻密に組み立てられており、またその基準が厳しいことは理解できたように思います。カントの思想は、なんとなく存在は分かるけれど、今までにうまく掴み切れていなかった「人間の良心」を間接的な証明であぶり出したというのが個人的な感想です。

 

続いては多分J.Sミルあたりを読みます。

 

カント入門 (ちくま新書)

カント入門 (ちくま新書)

 

入門ですら難しかったですが、大変おすすめです。 

時間をかけて読めばよくわかってきます。2回読んでようやくおぼろげに分かりました。「判断力批判」については触れてませんがまだよくわかりません。

 細かい論理的な組み立てまでは触れていませんが、カントの考えに簡単に触れるにあたってはこちらのほうが分かりやすかったです。

 

様々な哲学者が2ページに要約される中でカントについては10ページも触れられていました。。。全体の流れを俯瞰するのに分かりやすいです。